ひびわれた大地にしみこむ慈雨のように、聴く者の肩をそっと抱くような歌唱で“地上で最も優しい歌声”とも評される歌い手、中孝介(あたり・こうすけ)。今も暮らす故郷・奄美大島の島唄仕込みの裏声と、こぶしを駆使した歌唱が極めて個性的なボーカリストだ。4月に出したシングル『花』がロングセラーを続けるなか、国内初となるフルアルバム『ユライ花』をいよいよ7月11日にリリース。日本だけでなく、アジアにまでその歌声が流れ始めているボーカリストの音楽への思いは、どこまでもひたむきで純粋だ。まるで故郷の海のように。
■まずは音楽とのかかわりから。もともとは小さいころからピアノを学んでいたんですよね。島唄(民謡)との出会いやひかれた理由は?
中:ピアノをやりつつ、ヒットチャートに入っている曲を聴いて歌う感じでした。高校1年生のとき出かけたクラシックのコンサートで、ゲストの元ちとせさんが島唄を歌って、初めて生で島唄を聴き、お年寄りが歌うものという概念がひっくり返って、それから聴き始めました。
■島唄の世界では逸材と期待されていたにもかかわらずポップスの道を選んで、2005年『マテリヤ』でインディーズデビュー。当時の心境はどんな感じでした?
中:島唄の歌詞には奄美の歴史や昔の出来事が詰まっていました。奄美大島はしいたげられてきた島なので、人々は苦しみをいやすために歌い、明日への糧としたんです。そんな音楽の島唄をよそに持ち出して形を変えるのは違うと思って。でも、それでも自分は歌を歌いたい。島唄ではなく、自分にしかできない新しい音楽をやってみたいと思ったんです。
■確かに島唄の歌詞は方言だから、ポップスのほうがより多くの人に届きやすい。
中:そうですね。でも、ポップスでも、郷愁にかられる気持ちや、きれいなものを見たり、聴いたりしたときの琴線に触れる瞬間の感情……奄美でいう“なつかしゃ”を歌いたかったんです。
■歌唱には裏声やこぶしなど島唄の影響が残っていますね。この歌唱はどうやって生まれたんですか?
中:インディーズでデビューする前に、1年間ぐらいデモテープをいろいろ録って、自分なりの歌い方を探っていきました。そのなかで『それぞれに』も生まれたんです。
■その『それぞれに』で昨年3月メジャーデビュー。どんな気持ちでしたか?
中:人に聴いてもらえる幅が広がる場所に行くわけですから、喜びもあったし、改めて、ちゃんと歌に対して自分のなかで消化して伝えないといけないと思いました。
■中華圏にも進出し、2006年11月には台湾でフルアルバム『触動心弦』を先行発売。チャート上位に食い込んで、現地開催の大規模イベントにも出演しましたね。この経験は自信につながりましたか?
中:台湾のイベントでは、僕がステージに上がると、観客がどーっと集まってくれたんです。こんなに自分を知ってくれているんだと思うと驚いたし、うれしかったです。
■そして今年4月、森山直太朗さん作曲、御徒町凧さん作詞のシングル『花』を発表。この曲を歌うことになったときの心境は?
中:デビュー前から、森山さんの曲は好きでリスペクトしていたんです。いつか会えたらと思っていました。曲を聴いたら、まさに僕が伝えたい“なつかしゃ”を感じましたね。情緒を感じるし、心が温かくなる。
■歌い手は人によっては曲に近づき、人によっては曲を自分に近づけますよね。中孝介くんはどっち?
中:どうすかね。自分が近づく感じかな。まずデモテープで訴え方とかを決めていく。この曲を歌うときも試行錯誤がありました。森山さんが歌ったテープを何度も聴いてメロディーを覚えて、でも覚えたら、もういっさい聴きませんでした。自分の歌にするために。
■そんな曲が今までのなかで最も愛され、息長く支持されていることをどう受け止めていますか。
中:曲もそうですが、歌詞が普遍的だからでしょうね。だれがどう聴いても、その人なりの受け取り方ができる。
■そんな普遍的な曲を歌うのに中くんの歌唱や声は向いている気がしますね。
中:僕も、そういう歌が歌いたい。伝えたいのは、やっぱり“なつかしゃ”なんです。ブログのコメントにも「わけもわからず、泣けてくる」なんて書き込みがあるんですが、それですね、まさに。
■勢いに乗って、国内では初のフルアルバム『ユライ花』を発表。これまでのシングルも収められ、ベスト盤という趣きも感じられますね。
中:そうですね。この1年間の成果、瞬間瞬間が詰まっています。全体で意識したのは、心のわだかまりや不安を解放し、安心して明日も頑張ろうという気になるような作品です。
■新曲の河口恭吾さんによる『サヨナラのない恋』や、編曲が今っぽいアップテンポの『Goin'on』なども収録されていますね。
中:河口さんにもいつかお願いしたかったんです。『サヨナラのない恋』は、河口さんならではのメロディーで歌詞が優しいですよね。『Goin'on』は、やってみたいと思っていた曲です。これまでやってこなかった曲調を、新作には入れたかった。というのは、僕も島唄ばかり聴いてきたわけじゃないんで。ポップスやR&Bも聴いてきた、そういう要素が出せたらなと。ジャンルを問わず、いろんなタイプの曲を歌いたいです。母親が歌謡曲好きで、子守歌代わりに聴いてきたんですけど、今でもカラオケに行くとそんな歌ばかり。あとで履歴を見ると、普通の26才は歌わないだろうなという曲ばかりですよ(笑)。
■中孝介くん自らが作詞した『星空の下で』も含まれています。都会の生活のなかで故郷での日々を忘れていく寂しさをつづった歌詞には、自らの体験や思いが投影されている気がします。
中:歌詞に書かれているような自分にはなりたくないと思って作りました。奄美大島を離れて、いろいろな地方に行って歌を歌っている。奄美を忘れるわけはないけど、歌詞にしたためておくことで意味があるんじゃないかと。
■その奄美大島にメジャーデビュー後も暮らしていますよね。奄美大島とはどんな存在ですか? また、奄美を離れていていちばん故郷を思い出すのはどんなときですか。
中:やっぱり心やすらぐ場所ですね。家族がいたり、友だちがいたり。地元の子で奄美を盛り上げるために頑張っている人たちの姿を見ると、自分にも励みになります。奄美をいちばん思い出すのは、なぜか歌っているときですね。
■デビュー後、各地でさまざまな形でライブを経験してきたと思いますが、印象に残るライブはありますか? また、初めての全国ツアーも7月から始まりますが、期するところは?
中:恵比寿ガーデンルームでのライブは、自分のなかでもいちばん大きかったです。“やればできるんだな”という手応えがありましたね。今回のツアーもそうですが、いつも思うのは、手作り感を出したいなということ。アットホームな雰囲気というか。大きいところでもやりたいですけど、それよりも、声がきちんと届くところでやりたい。少ない音数で声がちゃんと届くところ。声をまず聴いてもらいたいんで。
■インディーズデビューから3年目。歌や音楽に向き合う姿勢や思いに変化はありますか。
中:デビュー前から比べると、歌の聴き方が変わりましたね。いろいろな先輩、たとえば、元ちとせさんや、同じレーベルの仲間でもあるアンジェラ・アキさんやCrystal Kayさん、そういった人たちの歌を間近で聴けて、時には話もできる。その意味では(僕の感性が)研ぎ澄まされる。だから、積極的にライブに出かけ、また映画も見ています。
■今後挑戦してみたいことはありますか?
中:せっかく中華圏に行くことが多いので、中国の楽器とコラボレーションしてみたいです。実際自分でも奏でてみたいですね。
2007年11月8日木曜日
Interview with - 中孝介