SPECIAL INTERVIEW

2008年6月16日月曜日

interview with - Micro

昨年は自身のレーベル“PRIMARY COLOR RECORDZ”を立ち上げ、縁の深いアーティストが参加したファースト・ソロアルバム『Laid Back』をリリースしたMicro。彼の名を世に知らしめたDef Techは、同作発表後の9月に解散。その後、初の作品となるシングル『踊れ』が到着した。RIZEの金子ノブアキと、Def Tech時代からMicro作品に欠かせないギタリストNagachoとのセッションで生み出された本作は、3人の才気が随所でスパークしあった生々しいバンドサウンド。気になる新曲のことや、今後の展望について、じっくりと話を聞いた。


■新曲『踊れ』の話の前にちょっとおさらいを。今振り返ると、ファーストアルバムは自分にとってどんな1枚だったと思いますか?

Micro:あのときはまだMicro of Def Tech名義で、自分のなかで第1章から第2章に移り変わる転換期というか。完全なソロというよりは、Def TechのMicroというポストを空けておきながら勝負していた感じですね。で、今回のシングルからやっとMicroの人生、第2章の始まりだなって思ってます。今度のアルバムはだれをフィーチャーすることもなく、本当にソロとして独り立ちするんだっていう気持ちで作ってますし、そう意味では原点回帰。そんな思いでやってますね。


■新曲はいつぐらいに、どういうふうに作り始めたんですか?

Micro:今年の年頭ですね。あっくん(金子ノブアキの愛称)と一緒に5~6曲作ったんです。そのセッションが肝でしたね、(サウンドが)ロック調になるっていうのは。僕ひとりだと打ち込み中心で、きっともっとゆったりとするから。


■ソロとしてひとりでやっていくんだという気持ちになったとき、敢えて金子さんやNagachoさんといった身近な仲間に頼らないという選択肢もあったと思うんですが。

Micro:うーん。彼らの参加に僕がノーと言うチョイスはなかったですね。むしろ、僕より僕のことを考えてくれてるっていうのがわかったし。どうやって2008年をやっていくかって考えていたときに、あっくんからは「ソロになったときに、お前は毒を盛りまくれる」「裏切りまくれる」って言われたんです。その思いが新曲のサビの“ダダーダ、ダダーダ、ダダーダ”という激しいドラムにつながっていて。そもそも、僕から「あっくん、やろうよ」なんて尊敬しすぎてて軽々しく言えないですよ(笑)。遊び仲間、飲み仲間ではあるけれど、こと音楽のフィールドに立つときは、僕は何歩も下がって、末座から「よろしくお願いします」っていう気持ちでいますから。


■新曲『踊れ』は、どういう思いから書いたんですか?

Micro:僕の音楽の原点には2001年のテロ事件があって。あれを目の前で見ていなかったら、僕は音楽をやっていないんです。あの無力感、悲しみから、どこまで逆に振り切っていけるのかっていうのが今にいたるまでの僕のテーマ。ネガティブからどれだけポジティブに切り替えられるか。そのダイナミズムがテーマであり、それを反映した曲を作るっていう。で、このインターバルに、ボブ・マーリィ、尾崎豊、ジョン・レノン、サブライムとか、先に亡くなったスーパースターたちをもう一度おさらいしてみたんです。この人たちの“死んでも残る音楽”って何なんだろ? って。(尾崎豊の)『I LOVE YOU』とかスタジオですげえ歌いましたよ、何かもらえないかなと思って(笑)。爆音で『僕が僕であるために』(『十七歳の地図』収録)とか何回も聴いて、そこから最後の“フレー、フレー”が出てきたんですけど。


■おさらいして見つけた彼らの共通点は?

Micro:人の苦しみを抜く音楽をやってるんだなって。自分とか時代に対しての不平不満を吐き出すことで、それと同じ思いを持っている人たちの気持ちを表現している曲が残っているなって。彼らがモノを発信しているときは、あまり笑ってないなって思ったんですよね。人間なんだから、ステージで盛り上がってこうこつ感でいっぱいだったら「気持ちいい、イエーイ!」ってなっていてもいいけど、だれひとりそうじゃなくて。ボブとかずっと苦しそうで、ずっとその苦しみから逃れるための表現方法を探してたのかなって。


■歌詞には“愛の反対は憎しみじゃなくて、無関心というあきらめなのです”というマザー・テレサの言葉が出てきます。それが印象に残りました。

Micro:そのメッセージは“KIDS SAVER”(※編集部注1)のテーマソングとして書いた2曲目の『Yukiyanagi 雪柳~We're watching you~』にもつながっていて。おれの友だちにも「おれなんか」「私なんか」って言う子は多いんですね。わかっているけど何もできない。無関心っていうより、見てるけど見てないふりをするっていう。愛憎っていう言葉があるくらいだから、みんな愛と憎しみが反対だと思ってるかもしれないけど、無関心って憎むより怖いことだなって。そこがなおざりになっていることが多いと思うんです。


■『踊れ』は1曲のなかにさまざまな曲調が詰まっていますよね。柔らかな雰囲気から始まったかと思ったら、サビでサンバドラムが躍動し、その後はミクスチャーラップになって、最後の間奏部では非常に穏やかでオーガニックなサウンドが顔を出す。最初から、こういうコントラストのついた曲を作ろうと思っていたんですか?

Micro:そうですね。あっくんとの曲作りはそういうのが原点になっているし、彼とふたりなら僕は1曲に3曲も4曲分も詰め込んでいける。それがふたりでやるメリット。僕はワンループで走り続けちゃう感じだし、直球しか投げられないから、基本的に(笑)。


※編集部注1 / いじめや不登校、虐待を受けている子どもを救い、守るためのプロジェクト。俳優の浅野忠信や建築家の安藤忠雄らが発起人。Microもそのひとり


■ソロとしてリスタートする今、『踊れ』のような、1曲のなかにさまざまな面を持つ曲が生まれて良かったなと思ってます?

Micro:そうですね。驚きがいっぱいあるから。僕がひとりで(ドラゴンボールの)悟空と悟飯とゴテンクスみたいな。でも、最終的には野沢雅子さん、みたいな(笑)(※編集部注2)。そういうのをやっていきたいですね。ひとり1キャラっていうか、その1キャラクターの濃さのままでは通せない自分がいて。そうすると、器用貧乏といわれたとしても、とにかく全力でラップして、全力で歌って、全力で語っていくしかない。それが逆に僕にしかできないことでもあるのかなって。多重人格者の音楽だけど(笑)、でもおれがひとりいて、そこにおれのなかのもうひとりを出していかないと、おれが聴いててもつまらないっていう感じなんですよね。


■本作リリース後、今年はどういう展開をしていきたいですか?

Micro:夏の終わりにソロツアーも決まったし、夏フェスも3年前に出演したサマソニのビーチステージにもう1回原点回帰という思いで立てることになったし。作ってはぶっ壊してっていうのが僕の性に合うんで、ソロになって、とにかく新しいものにチャレンジしていきたいですね。あと、今年は “PRIMARY COLOR RECORDZ”で勝ちたいんですよ。そのためには、まず前半戦はおれがいくしかないと思ってます。まず、とにかくおれが突き抜けないと。屋台骨がしっかり支えないと、ほかが成り立たないっていうのがあるしね。まずは多くの人に共感できる音楽を届けたいですね。


※編集部注2 / 悟空と悟飯は親子。ゴテンクスは悟飯の弟子のトランクスとのフュージョン(融合)人格。野沢雅子は3人の声を担当

2007年12月11日火曜日

interview with - 浜崎あゆみ

■『A BEST』からまる6年たったんだね。

浜崎:ビックリだよね(笑)。私、ふだん自分の曲とか聴かないから、6年前にさかのぼってずっと聴いていくのはけっこうヘビーな作業だったよ。


■そのころのことがよみがえってくるでしょ?

浜崎:そうそう。その時々の風景とか、そのころの自分の状態とか、鮮やかによみがえってくるよね。思い出すはずじゃなかったこととかも思い出したりして。


■胸が痛かったりした?

浜崎:痛いだろうなと思ってたんだけど、それが案外大丈夫だった。“もう絶対無理”とか“これは絶対一生許せない”とかね、激しく思ってた こともあったし、その当時のイメージが強いから、そのあとも見ないように、見ないようにしてたこともあったけど、ちゃんと向き合ってみたら、“あれ? 全 然大丈夫だよ”って思えた(笑)。


■逆にいうと、そう思いたかったから『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』に臨んだというところはあるの?

浜崎:うーん、大丈夫って思えるとは予想してなかったけど、“時間がない”とか“痛い”とかっていろんな理由をつけて目を背けてきた過去の自分と、今ちゃんと向き合うべきだなとは思った。


■じゃあ、そう思ったきっかけはあった?

浜崎:2006年の終わりに、『Secret』という新たな作品をつくることができたというのが大きかったかな。それを引っさげた初めてのアジアツアーもあるというところで、1回ここで過去の自分を清算させてもらおうかなと思った。


■『Secret』は『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』にはまったく含まれてないよね。そこにも明確な理由があるんでしょ?

浜崎:うん。『Secret』は私にとってすごく特別なアルバムだと思ってるんだよね。私のなかでの裏タイトルは“Reborn”みたいなところがある。


■生まれ変わったということ?

浜崎:そんな感じ。だからベストという過去のいろんなものたちと混ぜることはできなかった。あのアルバムをつくることができたから、ちゃんと過去の自分と向き合って、ここで全部許してあげようと思えたのかもしれないね。


■『A BEST』のときとはまったく違う、積極的な気持ちだったんだね。

浜崎:『A BEST』のときはすごくネガティブだった。だって、ジャケットからして反抗してるもんね(笑)。


■6年前のベストがそうだったから、今回もファンの人たちは心配してたんじゃない?

浜崎:うん。“大丈夫なの?”ってすごく思ってくれてたみたい。でも、本当に今回は大丈夫だから、「安心しててね」って言いたい。ベストを作る作業を通じて、「私のやってきたことはコレです!」って、ちゃんと誇りを持って言える気持ちになっているから。


■『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』を語るうえで、『Secret』がキーポイントになっているってことは、2006年がayuちゃんにとって非常に大事な年だったということだよね。

浜崎:そうだね。去年はいろんなことを新しくしたいと思ったのね。そのためにはそれまでのものを壊していかなきゃいけないじゃない? じゃあ、どこからぶっ壊していくかってことを、まず考えたよね。


■今までだったら、考える前に行動しちゃうようなところがあったじゃない?

浜崎:うん(笑)。とりあえずやっていかなきゃいけない状況っていうのがあったからね。でも去年は、自分からちょっとひとりになって考える時間をつくろうとしてた。


浜崎あゆみ史上最長のツアーがあったし、リリースも通常のペースだったと思うんだけど、少しは時間的余裕ができてきたのかな?

浜崎:もちろんけっこうテンパリまくりの時期は多々あったんだけど(笑)、ほら、仕事って“やりたいこと”と“やらなきゃいけないこと”があるじゃない?


■そうだね。ayuちゃんだと、例えば賞レースを目指すことだったりっていうのが、“やらなきゃいけないこと”だったりしたのかな?

浜崎:年末に向けてそういうことを考えなくてよくなると、単純に自分の音楽とか自分自身に正直でいられるというか、そういう状態でいられたことはたしか。


■賞レースというのは一例だけど、とにかく“やらなきゃいけないこと”から少し解放されて、自分に集中ができた1年だったんだね。

浜崎:そうそう。それで、どこからぶっ壊していくかを考えることもできたし、実際壊してはつくって、壊してはつくってというのをやり続ける こともできたんだよね。そしたら、秋くらいまでには、自分がよし! と思うところまでそれが完了しちゃった。そしたらダッシュしたくなってきちゃって (笑)。


■当初ミニアルバムと発表されていた『Secret』が急きょフルアルバムになったのは、秋までに自分の納得がいって加速したからだったの?

浜崎:そうなの(笑)。曲もいっぱいできちゃって、単純に“これ、全部入れたい”ってことになった。たぶん、ぶっ壊している最中は、そのミ ニアルバムも“やらなきゃいけないこと”のカテゴリーに入っていたのかもしれないね。それがいつしか“やりたいこと”に変わって、自然と書きたいことも生 まれていったという感じだった。


■あの作品の詞は、本当にさえわたってると思う。

浜崎:うれしい! つくってる最中、“アタシ、ヤバくない?”って思うほど調子が良かった。で、最終的にさっき言ったように、すごく特別な作品になったんだよね。


■年末に急きょフルになったから、あのタイミングでの取材はほとんどしなかったでしょ。でも、すごく力のある作品だったから、絶対何かあると思ってた。

浜崎:フフフッ。


■あれがあったから『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』もあるわけだもんね。

浜崎:そうだね。今回ベストをつくってつくづく思ったのは、時間ってすごいなっていうことかな。


■“もう絶対無理”と思っていたことも、今なら“なんだ、大丈夫じゃん”って思えるという意味で?

浜崎:うん。すべてを解決して、無傷に戻してくれるわけじゃないけど、確実にいろんなことを和らげてくれるなと思った。そう思ったときに、 それと同じことを、聴いてくれる人たちがそれぞれの人生のなかで感じてくれたらいいなと思ったの。そのためにこのベストをつくってるんだという確信のよう なものが持てたというか。


■聴き手は、浜崎あゆみの歌を通して昔の出来事を思い出すだけじゃなく、いつの間にかそこを乗り越えてる自分がいることに気づくわけだよね。

浜崎:そうであったらいいなと思ってる。


■今回のベストを“BLACK”と“WHITE”に分けたのは?

浜崎:それは単純に1枚には入り切らない数になったから。作業に取りかかった当初は、何にも考えてなくて、1枚に収めるつもりだった。で も、6年っていうのはかなり長い月日でした(笑)。もちろん私なりの理由があって曲を振り分けてはいるんだけど、ぶっちゃけそこはあんまり気にしないでく ださい。


■ジャケット写真については?

浜崎:今回は泣いてないです(笑)。白と黒ってハッキリした別の色だけど、ほぼ同じ色みたいなところもあるでしょ。そんなことを考えながら、自分の二面性について表現してみようかなと。


■例えばどんな?

浜崎:仕事をしてる自分とプライベートの自分って違うし……私は自分のことをすっごくアタマが良くて、すっごくバカだと思ってるし、すっごく大人で、すっごく子どもだとも思ってるの(笑)。そんな部分が出てるんじゃないかな。


■なるほど! 長期構想だったアジアツアーもようやく実現するね。

浜崎:うん。すごく楽しみにしてる。文化もルールも違う国に行くわけだから、あっちではできて、こっちではできないこととかがたくさん出てきて、準備にはいろいろと苦戦してる。でも、台北、香港、上海、日本でやる公演の内容は、基本的にはまったく同じ。


■同じ演出、同じセットリストってこと?

浜崎:そう。同じものを見てもらうことこそが大事だと思ってるの。“日本とアジア”じゃなくて、“アジアはひとつ”っていうことを伝えるためにこのツアーに出るわけだから。


■『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』で過去を清算し、『Secret』で現在を表現し、それを引っさげたツアーでは未来が見えてきそうだね。

浜崎:うん。頑張ります!

2007年12月10日月曜日

interview with - ailko

 昨年8月にリリースされた7枚目のアルバム『彼女』から約9か月、aikoから待望の新曲『シアワセ』 が届けられた。のびやかなソウルネスを感じさせるメロディー、豊かな深みをたたえたバンドサウンド、そして、恋人同士の何気ない日常の風景から、“シアワ セ”の在り方を描き出すリリック。この曲には、彼女のなかにある表現者としての本質がストレートに表れているといっていいだろう。


■『シアワセ』、何度も何度もリピートしたくなる曲ですね。

aiko:ありがとうございます。ホンマですか?


■ホントです。人生そのものを肯定したくなるというか……僕もこれまでの人生のなかでいろんな別れと出会いを繰り返してきたんですが。

aiko:ええ、ええ(笑)。


■今まで体験したすべての出会い、別れをポジティブに受け止められるようになる、そういう力があって。

aiko:うれしいです。そうそう、大事ですからね、そういうことは。あの、私、好きな人と一緒にいると「この人が死んでしまった ら……」っていうのを考えてしまうクセがあって。「じゃあ、バイバイ」って言うでしょ? その次の瞬間、交通事故にあったらどうしよう、とかって思ってし まうんですよ。電話がつながらないと「どうしよう、家で倒れてたら」とか。


■その人を好きになればなるほど、不安も大きくなる。

aiko:うん、最高のときと最悪のときが一緒にやってくる。だから、心の底からシアワセっていう時間がすごく短いんです。それこそ何秒と かで、ジワッと体に染みわたっていくんですけど、その瞬間を大事にしたいし、忘れたくないし、どんなときでも思い出したいなって思って、「ちゃんと曲とし て残しておきたいな」って。これからもきっとくると思うんですよ、「もう、絶対ムリ。ダメ」ってときが。そういうときはこの曲の歌詞を読もうと思うし。


■自分のためでもあるわけですね。大事な人に対して「もし死んでしまったら……」って想像してしまうクセは、昔から?

aiko:そうですね。小さいころ、体があんまり強くなかったんですよ。週に1回くらい高熱を出してたし、何度か入院してるし。手相を見て もらうときも、まず「私、死にませんか?」って聞いてたんです、仕事運とか恋愛運とかではなくて。でも20才を過ぎたころからどんどん丈夫になって、今は ぜんぜん大丈夫なんですけど、小さいときは「死んだらどうなるんだろう?」ってよく考えてたから……それが好きな人にも向けられてるんでしょうね、きっ と。


■情が深いんでしょうね。

aiko:そうなのかな? でも、自分が大事に思う人に対しては、「私の体はちぎれてもいい」くらいに思っちゃうんですよ。たとえば犬を預かったりすると、夜までごはんを食べなかったりするんですよ。1日中犬の世話ばっかりしてて、「あ、ごはん食べるの忘れてた」っていう(笑)。


aikoさんならではのそういうシアワセについての考え方をあらためて曲にしてみようと思ったのは、なぜですか?

aiko:いつもそれがテーマ、という言い方もできると思うんですけど、今回はそれがハッキリと出た感じがしますね。あとはね、これはみん なが感じてることだと思うんですけど、裏切るよりも裏切られたほうがいいと思ってて。たとえばひどいことをして恋人をフッたら、その人は先々、そのことを 思い出して落ち込むと思うんです。でも、フラれたほうは、そのときは死ぬほど悲しくても、ゆくゆくは笑って話せるようになるでしょ。私もそうですもん。学 生時代の失恋話とか、今はネタになってますからね。


■なるほど。

aiko:そういう自分でいたいな、っていう気持ちも入ってるんですよね、この曲には。あとね、(恋人が)寝てるときと車を運転してるときはガン見していいとき、っていうのもあって。


■“隣で眠ってるあなたののどを見て愛おしく感じる”っていう状況が出てきますよね、歌詞のなかに。

aiko:この人のツメって、こんな形してたんや? とかね。そういう細かいディテールを眺めるチャンスって、そんなにないじゃないですか。寝てるときだったら、「何見てんの?」とか言われないし(笑)。


■そういう瞬間に“シアワセ”を感じる、と。恋人との関係以外で、シアワセだなって思うときって?

aiko:いろんなときに感じてますけど、いちばんはライブをやってるときですね。あんなにシアワセな時間はほかにないと思います。バレン タインもクリスマスもいらないです、って思うくらい楽しい。だって、すごい好きな人たちが全部そろってるわけですよ。お客さん、スタッフのみんな、バンド のメンバー……。


■ライブDVDを見てると「こういうふうに歌えたら楽しいだろうな」っていつも思いますけどね。

aiko:ハハハハハ! 良かった(笑)。今回のツアー(“LOVE LIKE POP add. 10th Anniversary”)はすごい走ったりしたから、体力づくりとかも大変だったんですけど、やっと1歩階段を上ったっていう手ごたえがあって。


■では、ライブ以外のシアワセというと?

aiko:えーと、植物とかかな。たくさん植物を育ててるんですけど、夏とかね、1日でニョキニョキって伸びたりするんですよ。水をあげた とたん、パーッと葉が開いたりとか。あとは友だちとごはん食べてるときとか、好きな人が思いがけず、こっちを見ていたりとか。細かいところではたくさんあ りますね、シアワセな瞬間って。


■好きな人との細かい光景を覚えてるんですか?

aiko:覚えてますね。具体的にどんな話をしてたか、っていうのはぜんぜん覚えてないんですけど、そのときに着ていた服とか、どんなメガ ネをかけてたか、とかはわりとハッキリ覚えてて。それはうれしいことだけじゃないんですけどね。悲しいことに対しても、いつまでもネチネチとねたむタイプ (笑)。よく言われますもん、「まだそんなこと覚えてるの?」って。


■何度も話を蒸し返して(笑)。

aiko:そうそう。「それだけ私は悲しかったってこと。だから、そういうところを直してって言ってるの」とか。


■そうやって脳裏に刻まれてるエピソードって、やっぱり曲になっていくんですか?

aiko:なります。日常のなかで覚えてること、夢で見たこととかも。いつも歌詞が先なんですけど、歌詞のなかに出てくる言葉によって、自然とメロディーが決まってくるんですよね。で、とりあえず最初から最後までツルッと歌って、それをカセットテープに録っておいて……。


■え、カセットに録ってるんですか?

aiko:はい(笑)。せめてMDにしてくれ、って言われてるんですけど、嫌なんですよね。(カセットテープを)巻き戻してる時間も大事なんですよ、私にとっては。リズムマシーンとかも使おうと思わないし。


■まったくデジタル化が進んでない(笑)。そういえばインターネットの音楽サイトでインタビューを受けるのも、今回が初めてなんですよね?

aiko:そう、今までやったことがなかったんですよ。


■インターネットが好きじゃない、とか?

aiko:いや、そんなことないですよ。髪の毛を乾かすときなんかに、ちょくちょく見てますから。(ペットの)里親探しのサイトとか、料理のレシピが出てるやつとか、あと、しょこたん(中川翔子)のブログとか。ただ、私自身はぜんぜん詳しくないんですよ。自分のサイトでフォトダイアリーをやらせてもらってるんですけど、それもディレクターにきれいにまとめてもらってて。「添付って何?」っていうレベルですから、私。


■ハハハハハ! いや、いいと思います。

aiko:テレビや映画なんかは、「そろそろビデオはやめて、ハードディスクにしたら?」ってみんなから言われて、新しいものを使ったりしてますけど。曲を作るってことに関しては、まったく変わらず、ですね。


■音楽のテイストも一貫してますよね。たとえば、新しい音楽に触発されて、今までになかったアプローチを試すとか……。

aiko:怖くてできないんですよ、そういうこと。あんまりやりたいと思ったこともないんだけど、変わってしまうのが怖い、っていう感覚のほうが強いので。もちろん、新しい音楽も聴いたりはするんですけど、基本的に好きなのは70年代のものだったりするので。


■好きなものは変わらない。

aiko:食べ物もそうなんですよ。子どものころから好きなメニューが決まってて、たとえばマクド(ナルド)はフィレオフィッシュ、モスは スパイシーモスバーガー、ケンタッキーは和風チキンフィレしか食べたことない。だから、ほら、(テレビの)特番とかあるじゃないですか、改編の時期に。あ あいうのが好きじゃないんですよ。


■いつもと違う! って?

aiko:そう。お正月の空気とかも嫌だし(笑)。


■愛だったり恋だったり、歌のテーマもひとつの方向を向いてて。

aiko:友だち、恋人、親。自分が大事に思っている人に対して、みんなに「愛してるよ」って言うんですよ、私。そういうところは歌にも出てると思うし、ずっと変わらないですね。


■でも、恋愛観は変わっていくでしょ?

aiko:うん、(相手に対する気持ちが)もっと強くなってる気がする。昔は何よりも自分が先だったり、プライドが先走ってたりしたけど、 今は「どうしたら、あなたは笑ってくれるだろう」って考えることが増えてきた。そういう気持ちを相手に伝える、表現することが大事なんだってことも、やっ とわかってきたし。


■なるほど。

aiko:あとはね、好きな人だったり、だれかを思うことって、どんなことがあったとして“一生のこと”って思うんですよね。今生(こんじょう)の別れっていうのはなくて……。


■離ればなれになっても、縁はずっと続いていく?

aiko:「いつかまた会える」って思ってるところはありますね、確かに。ただ、私のなかには「一度別れてしまったら、もうあのころには戻 れない」っていう感覚もあるんですよね。だからね、たとえば高校生のときに付き合ってた人と、同窓会とかで会ったりするじゃないですか。そういうとき、 ちゃんと言えるんですよね。「あのとき実はこういう気持ちで、こういうことを言いたかったんだよ」って話を。


■あのころには戻れない、ということがわかってるからこそ、正直な気持ちが話せる。最後にひとつ。“シアワセ”と思える瞬間が……“何秒”とかではなくて何時間も続く状態って、いつになったら作れると思いますか?

aiko:うーん……。今31才だから、34、35くらいには感じていたいですねえ。でも、まだまだ先でしょうね。今は犬も飼えないですもん、「何かあったらどうしよう」って不安になっちゃって(笑)。

2007年12月9日日曜日

interview with - DJ OZMA

 2007年も精力的に活動中のDJ OZMAが、今年2枚目のシングル『E.YO.NE!!』 をリリース。今作は、彼がリスペクトするDJ DOC(韓国で国民的な人気を誇るヒップホップグループ)の1997年の楽曲『DOCと踊りを』をカバー。心地良いテンポ感に、ドゥーワップな合いの手が からみ合う、キャンディーのように甘くキャッチーなポップ感。もちろん、ウエディングソングとしても、披露宴&二次会パーティーなどで重宝されるであろう 愛すべきポジティブなラブソングに仕上がっている。


■今回、ついに「パワープッシュ」ということで、Yahoo!ミュージックで大特集です!!

DJ OZMA:ありがとうございます!!


■っていうかメチャクチャ忙しそうですよね?

DJ OZMA:そうなんですよ、気がついたら(笑)。


■それこそYahoo!ミュージックでは、昨年2月の台湾でのデビュー記者会見から、韓国ライブやツアーまで追っかけていて、そして年末の騒動がありつつ。かと思ったら今年もずっとレコーディングしてたり、続々とリリースや全国ツアーが控えてるそうじゃないですか?

DJ OZMA:去年は“みんなもっとアゲアゲで遊ぼうぜ!”ってことを言いたくて始めたプロジェクトだったんですけどねー。意外と年末ま で忙しくなっちゃって。楽しんでるふうなパブリックイメージを守るのに必死で(笑)。なので、2007年は早めに準備をしておこうって感じで、去年のツ アーが始まる前からレコーディングを始めてたんです。で、年末年始もずーっとやってて。だから、ほぼアルバムが出せるくらい曲もあがってるんですよ。だか ら今年は余裕だろうと思っていたんですけど、なかなか大変ですね(苦笑)。


■昨年のツアーでも『疾風迅雷~命BOM-BA-YE~』、『E.YO.NE!!』と『マッチ棒』やってましたもんね。

DJ OZMA:そうなんですよ(笑)。去年のツアーでは、アルバムに入ってない曲をたくさんやりましたからね(笑)。今は、もう一度形にし直しているところですね。


■で、完成した『E.YO.NE!!』なんですが、ドゥーワップなコーラスがすごく楽しいパーティーチューンですね。しかもウエディングソングになり得る、ハッピーなラブソングという。すてきです!!

DJ OZMA:元曲をやっているDJ DOCの『DOCと踊りを』という曲が好きなんですよ。振り付けもかわいかったので、いつかやりたいなって思ってたんです。で、去年のツアーのときにト ラックを作って。歌詞は韓国語の歌詞を空耳で聴き取って書いてるんですよ。で、結局意味のわからない文章になるんですけど、そのなかでどこを大事にするか を物語として考えていくんです。今回の場合“チュウチュウしてまたチュウしよう♪”って聴こえるところがいちばんインパクトがあって。で、いろいろ考えて たらマッチ(近藤真彦)の『ハイティーン・ブギ』みたいになってきて(笑)。そしたら、なんか“お前のためならツッパリもやめるぜ!”的なラブソングになって。だから“平成の『ハイティーン・ブギ』”って呼んでください(笑)。


■最近の音楽って、ジャンル的なことでけっこう細分化されちゃってるじゃないですか? そんななか、『E.YO.NE!!』は老若男女が楽しめる、リスナー間の音楽壁をぶち壊すマジカルな楽曲に仕上がりましたよね?

DJ OZMA:自分たちもカバーして思いましたけど、めったにこんな曲はないですよね。やっぱりDOCはすごいなって。 『E.YO.NE!!』を聴いてくれた人から「けっこう今回は歌謡曲っぽいですねぇ」って言われるんですけど、そうかな~? って思う。こんな歌謡曲ない よね!? みんなにこの曲がどういうふうに届くかっていのは興味ありますねぇ。今の時代、どういうふうに受け取られるんだろうなぁって。


■そういえば、『アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士』や『純情~スンジョン~』、『疾風迅雷~命BOM-BA-YE~』 のようにカッコ良くアゲていくチューンと、『My Way』、『Together』、『E.YO.NE!!』みたいに自身の心情をストレートにメッセージとして伝えていくチューンのふたつのパターンがあり ますよね? で、思ったのが、飾らずに愛や友情を表現する楽曲のほうが、実はDJ OZMAが伝えたいメッセージとして本質を突いているんじゃないかなと。

DJ OZMA:そうですね。自分で振り返っていつも思うのは、おれって案外まじめなんだなぁって(笑)。だから自分的には言葉で伝えられ る、歌詞書くのがすごく楽しいんですよ。今もあこがれ続ける職業、作詞家の先生の気分ですね。自分以外のアーティストに歌詞を書く機会はないんですけど、 今小さく夢をかなえてるとこですね(笑)。


■『マッチ棒』の歌詞とか、青春の1ページを少年マンガのように秀逸に切り取っていて良かったですよ。

DJ OZMA:ありがとうございます(笑)。


■歌詞とか男性アイドルといわれてる方に提供してみたらいいのに。

DJ OZMA:『マッチ棒』は、歌謡ロックテイストだったんで、少しイナタイ(※編集部注)んですけどね。シブがき隊とかに提供したいですよね(笑)。


■けっこう今のチャートのポップスとかって流行のルールにのっとった決まり言葉が目立つんですけど、DJ OZMAは独特な言葉づかいで、物語の視点もおもしろくってある意味文学的ですらあると思いましたよ。

DJ OZMA:『マッチ棒』は、元の曲がノラジョ(韓国でカルト的な人気を誇る異色デュオ)の『ナルチゴ(おれを奪って)』って曲なんで す。サビのフレーズ“ナルチゴ~”を日本語にするにはどうしたらいいんだろうって最初に思って(笑)。そこで“マッチ棒~”って韻を踏んでみたと(笑)。 で、ちょうど地元にマッチ棒ってあだ名の先輩がいたんですね。まあルックスもマッチ棒っぽいんですけど。相手のハートに火をつけるだけつけといて、自分は 燃え尽きるという人だったんです。


■うまいなー。物語になりますもんね。

DJ OZMA:そんな思いも混ぜて書いたんですよ。


※編集部注 / 田舎くさくて冴えないことや、くだらないこと。音楽ファンの間では、“泥くさい”“ブルージー”“へたうま”といったニュアンスでも使われる


■ちなみに『E.YO.NE!!』は、季節柄ウエディングソングということであり、今の時代的にもジャストな楽曲ですよね。というか、最近結婚ブームというかラッシュですよね。

DJ OZMA:それにしても多いですよ、今年は(笑)。男は新たな勝負に出ようとするときに、家族を作ったりするのかなぁとか考えたりしますけどねぇ。


■結婚ソングって世の中にいろいろあると思うんですけど、そのなかでも特に好きな曲や、気になっている曲ってあります?

DJ OZMA:僕が好きなのは……、全然結婚ソングじゃないんだけど、発想的に『お嫁サンバ』が好きですね(笑)。あの、“結婚すんな”ってテーマがすごいなって。この間、郷ひろみさ んと対談する機会があって、お話したんです。当時曲をいただいて、今まで唯一歌いたくないと思ったのが『お嫁サンバ』だったそうなんですよ(笑)。今でこ そポピュラーになってますけど「“1・2・3バ 2・2・3バ♪”ってホントかよっ」って(笑)。でも当時のプロデューサーに、これが郷ひろみなんだって熱く語られて納得したそうです。でもこれがなかっ たら、アチチの『GOLDFINGER'99』なんてあり得なかったって言ってて。だからそのあとすごく柔軟になれたのはこの楽曲のおかげだという。そういう曲が世の中にインパクトを残し続けてるんだって感動しましたよね。


■それは良いお話ですねー。DJ OZMAは、どんな結婚生活にあこがれているかとかあります?

DJ OZMA:あ~、それはもう『ぽっかぽか』ですよね。漫画原作もあるドラマです(笑)。結婚ってなんていいんだろうって思いました ね。お父さんが優しくて、お母さんも優しくて娘はかわいくて……。そんなお父さんでも時々嫌になっちゃうときがあって。で、のん気でポジティブな奥さんが 励ましたりとか。奥さんも時々ふてぶてしくなっても、だんなが優しくさとしたりね。いいなぁとか思いながら見てましたから。あれは理想像ですよね。


■ほぅー。

DJ OZMA:『E.YO.NE!!』は、ウエディングソングって宣伝打ち出してますけど、これから結婚する人たちだけに聴いてほしいと か、そんな意識は全然ないんです。むしろすべての恋してる人たちに聴いてもらいたいですね。お付き合いして何年もたったけん怠期な人とかにも、“おれもこ んなこと思ってたんだよなぁ”って、帰り道で奥さんに花を1本買って帰ろうかなとか思ってもらえたらうれしいです。けんかしたときとかでも“出会ったとき のことを思い出して水に流そうぜ”とかね。


■そんなホンワカした気持ちを思い起こさせてくれるメロディーを持つ楽曲ですよね。

DJ OZMA:これから付き合うっていうカップルにも、こんなすてきなことが待ってるぜって思ってほしいし。すべての人に聴いてもらいた いって感じです。たぶん世の中的には、もっとせつない曲のほうがみんなの心をつかむのかもしれないですけどねぇ。でもおれって、どうもポジティブになりす ぎてしまうんです(苦笑)。


■しかし、今後リリースが続きつつ、7月から全国ツアー「THANK-TUARY“サンクチュアリ”」までやっちゃうんですねー。

DJ OZMA:そうなんですよ。ホールツアーなんで不安もあるんですけどね。自分たちは、どっちかっていうと小さなキャパでやるほうが 合ってると思うので。だから珍しくナーバスにもなってるんですけど(笑)。でも、ようやくみんなと話しながらここまでやればおもしろくなるんじゃないか なっていうのが見えてきたところです。まぁ、去年のツアーでは回れなかった全国のみんなに、DJ OZMAってどんなやつか見てもらいたいっていうか。不謹慎男がホントはいったいどんなやつなのかをその目で見て確かめてほしいですね。


■全国津々浦々、9月17日の沖縄まで30公演もありますね。

DJ OZMA:旅は好きなんで楽しみですよ。おいしいもの食べて、おいしいお酒を飲んで、いろんな土地のすてきな女の子と会って……楽しんでいきたいなって思ってます(笑)。


■そのツアーでもやられるような楽曲を今レコーディングしてるんですね?(※取材場所がスタジオでした)

DJ OZMA:そうですね、今まさに大詰めです。こんなに録ってどうすんだよってくらい録ってるんで(笑)。ちょっと楽しみですけどね。


■それにしても、2007年前半からすでに半端ない勢いなんですけど、後半の目標ってあったりします?

DJ OZMA:まぁ、できることならゆっくりしたいと(笑)。


■いや、このスケジュールだと無理ですよ(笑)。

DJ OZMA:これまでは、この山のように用意した楽曲のなかから1曲でも当たってくれたら、もうおれたち当分エクアドルあたりに住むん だろうなって思ってたんですけど(笑)。ただまぁ、そんなにうまくはいかないだろうなぁなんて。自分たちの未来がなんとなくわかっちゃったりもしますよね (微笑)。


■ツアーはもちろん、また年末も盛り上げてほしいですね。

DJ OZMA:そうなんですよ。今年はまだまだ楽曲をリリースしていこうと思ってるんですけど、本当にすべてが年末に向けてのプレゼンだと思ってますからっ。


■楽しみにしてます。それでは最後の質問です。6月に行われるという“友人である翔やん”の結婚式で歌ったりはしないんですか?

DJ OZMA:僕は、あの、招待状届いてないんですよ(笑)。それに意外と友人の結婚式って、仕事でタイミング合わなかったりで出られな かったりして。去年も1回くらい行ったんですけど、それは非常にお金のかかった結婚式だったんです。まぁ、芸能人でもここまでやる人はいないだろうってい う。そこでは、案の定ノセられて歌ってしまいましたけどねぇ。……結婚式営業でもしようかな(笑)。


■いや、この『E.YO.NE!!』は、本当にひとり歩きして人気になりそうな気がしますよ。懐かしくも新鮮なクセになる曲です。

DJ OZMA:ぜひ、みんなに楽しんでもらえる曲になればいいなって思いますねぇ。

2007年12月8日土曜日

interview with - レミオロメン


 人気アーティストの仲間入りをしても、いっさいおごることなく、常に“自分たちの居場所”を探し求めるレミオロメン。そんな彼らの新曲は『Wonderful & Beautiful』。聴き終わった瞬間、ふと自分の大切な人のことが心に浮かぶ、そんな作品だ。この季節にピッタリの、視野の広いキラキラしたアレンジが心地良く、藤巻亮太の歌声はヒートテックのように温かい。年が明ければ5か月間におよぶツアーが待っている彼らに、近況を尋ねた。


■2007年を振り返ってみて、レミオロメンにとってどんな年だったと思いますか。

藤巻:HORIZON』 からアリーナツアーまでやった昨年は、ひとつのことに向かって突っ走った感じでしたけど、2007年に入ってからは“何のために音楽をやるのか?”とか “何を書きたいのか?”とか、それを立ち止まって考えた年でしたね。6月に3人で、1か月間スタジオにこもったんです。そのプリプロ(※編集部注)を経 て、そこから再び、地に足が着きはじめてきた気はしてますけどね。

神宮司:先のことを考えず、純粋に音楽に集中できた時期でした。あーでもないこーでもない言いながら、3人で曲を積み上げていく作業ができたし、楽しかったし、コミュニケーションもより深まったし……。

藤巻:そして夏は野外フェスにたくさん出たんですよ。対バンの方たちと一緒だから、自然と自分たちの立ち位置もわかったし、レミオロメンとして演奏するという、そのことを再び確認できた気もしましたよね。

神宮司:洋楽ファンも多いフェスとか、場所によって聴いてくれる人たちもさまざまだったし、そのあと小さなライブハウスでやったり、いろいろなことを経験したうえでシングルのレコーディングに入れたのが大きかったです。

前田:勢いでこれまで来て、実際その勢いはすごかったと思うんですけど、ここらで“勢い”というより“投げたいところに球を投げたくなった”というか……。それもあっての6月だったし、フェスだったと思います。


■“投げたいところ”というのは?

前田:音楽って、曲があれば、ミュージシャンだったらとりあえずは演奏できるわけですけど、ただ演奏するんじゃなく、しっかり考えたかっ た。でも、考えすぎてもダメだろうし、勢いというものも感情を表現するために必要で、そのあたりのバランスをしっかり取って、クールだけど熱いみたいな、 そんな感覚を目指すようにはなってますけど。


■その6月のプリプロから、今回のシングルへとつながっていくわけですよね。

藤巻:10何曲かやりながら試して、そのなかで最初にしっくりきた曲が今回のシングルになったんですけどね。


■新たな境地みたいなものは?

藤巻:それこそ前だったら、“この心のモヤモヤは何なんだ!?”ってことを音楽にしたら“すっきりした”みたいな、そんなシンプルなこと だった(笑)。でも徐々に、自分のなかに不在感みたいなものが出てきたんですよ。でも、ふと思うと、自分はレミオとしてとか、ミュージシャンとしてとか、 さまざまな立場を意識して作ってたなぁって思って……。そうじゃなく、全部ひっくるめて藤巻亮太として作る感覚を取り戻したかった。それがカップリングの 『リズム』の詞を書き、『Wonderful & Beautiful』を書き終えたころには、不在感も徐々になくなっていったんですけどね。


※編集部注 / プリプロダクション。レコーディング前に曲の構成やアレンジを詰める作業のこと

■『Wonderful & Beautiful』には、車でどこかへ向かう途中、渋滞に巻き込まれた主人公が出てきますね。

藤巻:夜、お台場からレインボーブリッジを渡ったとき、芝浦のマンション群の明かりが見えて、ふと“自分は何才まで東京に住んでいるんだろ う”って思ったんです。そのことも曲を書くキッカケですね。でも……“田舎も都会も、実はあんまり変わらないのかもねぇ”とも考えた。どこに住もうと、何 を知ろうと、それより大切なことがわかったっていうか。今、近くに思う人がいるなら、その人を大切にしなきゃという、そんな気持ちも込めた歌なんだと思い ます。あと、自分たちのことを振り返ってみてもね、これまで何度もミスをしたし、ブレたこともあったんですよ。でもそれでも続けてこられたのは、まわりで 支えてくれた人があったからなんですね。素直にそう思えたし、実際この曲もそんなとても素直な気持ちで書けたんですよ。

神宮司:確 かに車で渋滞にという、そんな場面も出てきますが、そこに限定されない歌なんですね。聴く場所にしてもさまざまでいいし、お店で流れたり、車のなかのラジ オから聴こえてきてもいい。そうやって、どんどん街中に流れていったらうれしいんです。そして“2007年の冬にこういう曲があったな”って、思い出に なってくれたらすごくうれしいです。

前田:さっき“素直に書けた曲”という話がありましたけど、演奏面でもそこに引っ張られたんじゃないかと思います。アレンジにしてもそうですけど、3人とも迷わずまっすぐなパワーが出せましたから。


■カップリングの『Wonderland』と『リズム』に関してもひと言お願いします。

藤巻:『Wonderland』は僕らの作品のなかでも青春色の強い曲で、どういう思いで、どういうアプローチでやっていくかに注意しながら作りました。結果、バンド感をすごく大事にした仕上がりになりましたけど。

前田:この曲は、まさに僕らがそうやって生きてきた気がするし、今ももちろん行きたい場所もある……。それを忘れたくない。そんな思いも込められてると思います。

神宮司:ふと立ち返るじゃないけど、自分たちを見失いがちなとき引き戻してくれるかもしれない、そんな曲じゃないですかね。

藤巻:あ と『リズム』に関しては、今回のレコーディングはここから始まったんです。この曲は、どこかで『Wonderful & Beautiful』にも通じるところがあるかもしれないです。“一人”→“一人じゃない”→“みんな”みたいに、そんな広がりがあるところとかは。

■2008年は1月から5月までツアーですね。

藤巻:まー、すごい数だと思いますけど(笑)。本当だったらアルバムをリリースして、ということが多いんですけど、でも今回はそういうわけじゃなくて、『Wonderful & Beautiful』『茜空』『RUN/蛍』という曲でまわるんですよね。

神宮司:初めて見る人も、何度も見に来てくれてる人も、同じように楽しめるライブにしたいんです。新しいアルバムがないぶん、すでに出ている曲での構成なんですけど、もう何年もやってない曲もやってみようかって、そんなことも話しているんですけどね。

藤巻:そう思わせてくれるのも、『Wonderful & Beautiful』があるからなんですよ。この曲って、『朝顔』から『HORIZON』 までをつなげてくれる、そんな役割も果たすと思うんです。だから次のツアーでは、『朝顔』の曲もできるんじゃないかって思っていて……。 『HORIZON』のツアーのときは、あんまり入り込む余地がなかったんで。でも、この曲のマインドがあれば、あのころの曲もやってみようかって気にもな れる。実はそれが今の僕らにとってすごく重要だし、そういうレミオロメンを見てもらえるライブになるんじゃないのかなって思います。


■さらにツアーのリハまで新たなレコーディングが続いているということは、未発表曲の発表とかあったりして……。

藤巻:どうなるかわかりませんけど、ひょっとしたら“あ、今こんなのやってるんだ”みたいなことも見せられるのかもしれない。でもともかく ツアー中は、全国をまわりながらさまざまなものを拾い集めつつ、次に進んでいきたいなと思います。あとは、ここのところ大きな会場での20本くらいのツ アーが多かったので、見たくても見に来られなかった人も多かったと思うし、今回はしっかりみんなのところまで行きたいな、ということですね。そしてレミオ ロメンて、“こいつらが演奏してるんだな”ってことがわかるライブにしたいです。

前田:これでリハが始まったらね、さらにイメージも固まっていくでしょうけどね。


■ツアー楽しみにしてます。ありがとうごさいました。

2007年12月7日金曜日

interview with - 河村隆一

ソロ・デビューから10年。これまでの足跡の集大成としてリリースされるのが『evergreen anniversary edition』だ。【ディスク1】:これまで発表した楽曲のセルフ・カバー、【ディスク2】:日本の音楽シーンを彩ってきた名曲のカバー、【ディスク 3】:10年間の活動を辿る秘蔵ライブ映像集…という、3枚組作品となっている。収録されている楽曲の数々から、何よりも伝わってくるのは、河村隆一の歌の持っている桁外れのパワーだ。歌声が発せられるや否や、楽曲に籠められた想い、風景、物語は、リスナーの心の中に鮮やかに映し出される。その圧倒的な表現力には、胸打たれずにはいられない。河村隆一の表現力の凄味を豊かに体感させられる今作について、本人に話を訊いた。



■セルフ・カバーと名曲のカバーを行う今回の企画は、どのような経緯で始まったんですか?

河村:今年は『ORANGE』というオリジナル・アルバムを出したんですけど、それによって“コンポーザーとしての10年”というのは、作品に出来たと思うんです。それとは別に、“シンガーとしての10年”という総括をしたいなと思って、取り組むことになりました。

■【ディスク1】のセルフ・カバーに関しては、昔のご自身の歌とじっくり向き合う機会でもあったと思うんですが、やはり変化は感じましたか?

河村:例えば「I love you」は10年前の曲ですよね。僕としては改めてレコーディングした時は、“あまり変わってないのかな”と思ったんですけど、昔のシングルを聴いたら “若いな”というのは感じました(笑)。今の方がゆとりもあるし、声が太くなってるし、シンガーとして肝が据わったというか。懐が深くなった感じはしています。

■その辺はリスナーの方々も聴き比べてみると様々なことに気づくでしょうね。

河村:そう思います。今までの 10年を上半期と下半期に分けるとすると、後半になるにしたがって、高い声を出す時のコントロールが出来るようになってると思う。高い声を出すとキンキンしてしまいがちなんですけど、そうなると耳に痛い音になるんですよね。“高い音なんだけど、癒しのある唄い方が出来ないかな”というのは、下半期にずっと自分の課題として追いかけてたんで、その辺は今にもつながってることだと思います。

■セルフ・カバーは選曲も興味深いですね。シングル曲だけじゃなくて、「彼方まで」のような熱心なファンしか知らない曲も収録されてますから。

河村:僕にとってはどの曲も可愛いですから、順位をつけられなかったんですよ。だから“RKF”っていう、僕のファンクラブの会員のみなさんに順位をつけてもらったんです。そんな中にまず「無題」っていう曲が常にトップ10に入っていて。これは4年前に初めて唄って、ずっと「無題」だったんですけど、それが今回入っている「Once again」です。「彼方まで」もなぜかいつも上位にいたんですよね。これは他の方に提供させてもらった曲なんですけど、ライブで唄った時にすごく評判が良かったんですよ。そういう曲がシングル曲の中に入っているのは、僕にとっても興味深かったです。

■そして、【ディスク2】の方が名曲のカバー集ですね。カバーしたのは一般ユーザーから選ばれた曲なんですか?

河村:そうです。スポニチさんと“RKF”の両方で投票してもらいました。“驚くような曲が選ばれるかな?”と僕も身構えてたんですけど、結果のリストを見た時は“なるほど”と思う曲ばかりでしたね。沢田研二さんの曲や、山口百恵さんの曲から、ミスチルとか中島美嘉さんの「雪の華」のような最近の曲まで唄わせてもらいました。僕のこの10年の活動時期と重なる曲もあるので、とても面白かったですよ。

■そういう中にDEAD END(80年代後半のジャパニーズ・ハードロック・シーンの最重要バンドの1つ)が入っているのが目を引いたんですが。

河村:これは実は僕のリクエストでして。自分のルーツにあるバンドの曲を、どうしても入れたかったんですよ。僕は LUNA SEAのインディーズの頃から数えると、20年近く唄ってるんですけど、自分のルーツにあるバンドの歌を、今唄ったらどうなるんだろう? と思って。“僕はこういうところから出てきたんだ”ということを確かめるためにも、もう一度唄ってみたかったんです。自分を育ててくれた名曲と向き合うのは、僕にとっても得るものはすごく大きかったですよ。

■カバーしている中で特に思い入れの強い曲はありますか?

河村:織田哲郎さんの曲も、徳永英明さんの曲も、尾崎豊さんの曲もそうだし…全曲が僕にとって大切な曲ばかりですよ。そんな中、近年の曲で心に残っていたのは中島美嘉さんの「雪の華」ですね。唄ってみて改めて名曲であることを感じました。

■今回唄った名曲のような作品を、ご自身も作っていきたいという意欲も掻き立てられたのではないでしょうか?

河村:僕は音楽家としての物差しを、常にクリアに持っていたいと思ってるんです。僕が曲を好きになるポイントって、 “キャッチーでポピュラリティがある”ってことがすごく大きいんですよ。例えば“ビートルズで好きな曲は?”と訊かれたら、人によっては隠れた名曲を挙げるのかもしれないけど、僕だったら「Let It Be」。メジャーな曲を挙げるのが恥ずかしいと思うタイプの人もいますけど、僕はそういうのは全然恥ずかしくない。だからこういうカバーをすることが出来たし、今後もそういうクリアな物差しを持ちながら、コンポーザーとして曲を作っていきたいと思ってます。今回、こういう名曲を歌って、自分の血肉にしたことで、その物差しは今まで以上にクリアになった気がしています。

■今回はこのような形で10年を総括しましたけど、来年2月3日の武道館の公演では、今までのフル・アルバムとミニ・アルバムの全70曲を唄うそうですね。

河村:“知らない自分に出会ってみたい”というのもあって、やることにしたんです。70曲唄うことで喉を少し痛めるかもしれないし、体力の限界まで行くかもしれないですけど、それを乗り越えるために自分を鍛えることは、絶対に今後の自分にとってプラスになるはずですよ。僕はハードルを高めに設定して、それに向って自分を構築していく作業が結構好きなんですよね。もともとスポーツが好きですし、唄うことってスポーツに近いことだとも考えてますから。今後も自分の知らない声とか声量とか、力強いものから繊細な表現とかも含めて、いろんなことを学んでいけたらいいなと思ってます。

2007年12月6日木曜日

interview with - 木根尚登

 今、気になるあの人の、人生や音楽活動に影響を与えた出来事や出会いとは? 注目のアーティストに、自らのターニングポイントを語ってもらう連載「私のターニングポイント」。第26回は、12月5日に3年8か月ぶりとなるニューアルバム『SPEEDWAY』をリリースしたTM NETWORKのスポークスマン、木根尚登の登場だ。


「発端は“SPEEDWAY”のアルバムを小室哲哉が買ったことで(笑)」
 あの小室哲哉が 所属するユニット、TM NETWORK。それこそ、現在20代中盤から30代後半にかけてのリスナーは名前を聴くだけで号泣ものだろう。1984年にデビューし、1994年に “活動終了”。その後1999年に活動を再開し、コンスタントにリリースとライブ活動を続けている。
 そんな彼らが80年代に回帰するコンセプト を掲げた新作をリリース。タイトルは彼らがTM NETWORKを結成する以前のバンド名から引用され、サウンドや曲調も80年代の“あのころ”のテイストに近く、まるでバンド名のとおり(“TM NETWORK”とは“タイムマシン・ネットワーク”の略。ダブルミーニングで“多摩ネットワーク”の意もある)に、タイムマシンでデビュー前年の 1983年に戻って制作したかのよう。まさに、優しきメロディーが中毒性を持つ名盤だ。

 「TM NETWORKのデビューは1984年なんですけど、その前に、SPEEDWAYと いう名前のバンドをやっていたんです。1979年に結成して、最初は僕と宇都宮くんがいて、あとから小室くんが加入して。その延長でTM NETWORKのデビュー前にデモテープを一緒に作ったんですね。そのテープは今も持ってますけど、今回のアルバムはそれに近いです。なぜ、こういう流れ になったかを話すと、発端はSPEEDWAYのアルバムを小室哲哉がiTunesで買って(笑)。彼から電話がかかってきて“SPEEDWAY聴い た?”って言うから“聴いてないよ(笑)”って。“最近、iTunesで聴いたんだ。いや、いいよ、これ。あのころの曲とかさぁ”とか彼が言い始めて、 “TM NETWORKとしてこれ出したいね!”ってことになったんですよね」

「やっぱり“夜のヒットスタジオ”出演ですね」
 来年25周年を迎えるTM NETWORK。デビュー後の3年間は良作をリリースしながらもヒットに恵まれず、地方キャンペーンなどを地道に行っていた。結果、地方で人気を得たこと がその後に結びつくこととなる。彼らが絶大なる人気を得ることになった、そのターニングポイントとは?

  「世間的に考えたら、やっぱりフジテレビの“夜のヒットスタジオ”に出演したことですね。もちろんそこまでにいろんな点がありますけど。当時“夜のヒット スタジオ”の放送作家の方が“3人組でコンピューターを使ってやってるヤツら、なかなかおもしろいよ”って、番組のプロデューサーに薦めてくれたんです よ。デビューから3年間全然出演できなかったけど、その間の活動が目に止まってね……。あと、同じくらい影響しているのは小室くんが渡辺美里さんに提供した『My Revolution』ですよね。あれがヒットしなければ、彼はTM NETWORKをあきらめていたかもしれない(苦笑)。あの曲が大ヒットしたときに彼は確信したんでしょう、“曲は間違ってない!”って(笑)。後は売り方や見せ方だと。それが『Self Control』(アルバム『Self Control』収録)、『Get Wild』のヒットに結びつきましたね」

  そしてTM NETWORKは、現在のJ-POPやクラブシーンで当たり前のものとなった“ユニット”という形態の元祖でもある。結成当時からその意識はあったのだろうか?

  「当時は“ユニット”って言葉がなかったからね。最初にてっちゃん(小室哲哉)が僕を誘ったとき、“作曲グループで音楽を作ろうよ”って話だったんです。 今だから言えるけど、当時てっちゃんが言ったのは、“バンドで6人、7人いると金がかかるよ(笑)”って。当時お金なかったですから。また、自分たちの音 楽がそれを演奏するミュージシャンによって限定されるということもあって。時代が変わって音楽の流行が変わっても、その都度ミュージシャンを変えていけば その時代の音楽ができるんじゃないかと。ひょっとしたら同じ時代でいうなら、TM NETWORKとBOΦWYの違いってことでもあるかもしれないね」