2007年12月11日火曜日

interview with - 浜崎あゆみ

■『A BEST』からまる6年たったんだね。

浜崎:ビックリだよね(笑)。私、ふだん自分の曲とか聴かないから、6年前にさかのぼってずっと聴いていくのはけっこうヘビーな作業だったよ。


■そのころのことがよみがえってくるでしょ?

浜崎:そうそう。その時々の風景とか、そのころの自分の状態とか、鮮やかによみがえってくるよね。思い出すはずじゃなかったこととかも思い出したりして。


■胸が痛かったりした?

浜崎:痛いだろうなと思ってたんだけど、それが案外大丈夫だった。“もう絶対無理”とか“これは絶対一生許せない”とかね、激しく思ってた こともあったし、その当時のイメージが強いから、そのあとも見ないように、見ないようにしてたこともあったけど、ちゃんと向き合ってみたら、“あれ? 全 然大丈夫だよ”って思えた(笑)。


■逆にいうと、そう思いたかったから『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』に臨んだというところはあるの?

浜崎:うーん、大丈夫って思えるとは予想してなかったけど、“時間がない”とか“痛い”とかっていろんな理由をつけて目を背けてきた過去の自分と、今ちゃんと向き合うべきだなとは思った。


■じゃあ、そう思ったきっかけはあった?

浜崎:2006年の終わりに、『Secret』という新たな作品をつくることができたというのが大きかったかな。それを引っさげた初めてのアジアツアーもあるというところで、1回ここで過去の自分を清算させてもらおうかなと思った。


■『Secret』は『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』にはまったく含まれてないよね。そこにも明確な理由があるんでしょ?

浜崎:うん。『Secret』は私にとってすごく特別なアルバムだと思ってるんだよね。私のなかでの裏タイトルは“Reborn”みたいなところがある。


■生まれ変わったということ?

浜崎:そんな感じ。だからベストという過去のいろんなものたちと混ぜることはできなかった。あのアルバムをつくることができたから、ちゃんと過去の自分と向き合って、ここで全部許してあげようと思えたのかもしれないね。


■『A BEST』のときとはまったく違う、積極的な気持ちだったんだね。

浜崎:『A BEST』のときはすごくネガティブだった。だって、ジャケットからして反抗してるもんね(笑)。


■6年前のベストがそうだったから、今回もファンの人たちは心配してたんじゃない?

浜崎:うん。“大丈夫なの?”ってすごく思ってくれてたみたい。でも、本当に今回は大丈夫だから、「安心しててね」って言いたい。ベストを作る作業を通じて、「私のやってきたことはコレです!」って、ちゃんと誇りを持って言える気持ちになっているから。


■『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』を語るうえで、『Secret』がキーポイントになっているってことは、2006年がayuちゃんにとって非常に大事な年だったということだよね。

浜崎:そうだね。去年はいろんなことを新しくしたいと思ったのね。そのためにはそれまでのものを壊していかなきゃいけないじゃない? じゃあ、どこからぶっ壊していくかってことを、まず考えたよね。


■今までだったら、考える前に行動しちゃうようなところがあったじゃない?

浜崎:うん(笑)。とりあえずやっていかなきゃいけない状況っていうのがあったからね。でも去年は、自分からちょっとひとりになって考える時間をつくろうとしてた。


浜崎あゆみ史上最長のツアーがあったし、リリースも通常のペースだったと思うんだけど、少しは時間的余裕ができてきたのかな?

浜崎:もちろんけっこうテンパリまくりの時期は多々あったんだけど(笑)、ほら、仕事って“やりたいこと”と“やらなきゃいけないこと”があるじゃない?


■そうだね。ayuちゃんだと、例えば賞レースを目指すことだったりっていうのが、“やらなきゃいけないこと”だったりしたのかな?

浜崎:年末に向けてそういうことを考えなくてよくなると、単純に自分の音楽とか自分自身に正直でいられるというか、そういう状態でいられたことはたしか。


■賞レースというのは一例だけど、とにかく“やらなきゃいけないこと”から少し解放されて、自分に集中ができた1年だったんだね。

浜崎:そうそう。それで、どこからぶっ壊していくかを考えることもできたし、実際壊してはつくって、壊してはつくってというのをやり続ける こともできたんだよね。そしたら、秋くらいまでには、自分がよし! と思うところまでそれが完了しちゃった。そしたらダッシュしたくなってきちゃって (笑)。


■当初ミニアルバムと発表されていた『Secret』が急きょフルアルバムになったのは、秋までに自分の納得がいって加速したからだったの?

浜崎:そうなの(笑)。曲もいっぱいできちゃって、単純に“これ、全部入れたい”ってことになった。たぶん、ぶっ壊している最中は、そのミ ニアルバムも“やらなきゃいけないこと”のカテゴリーに入っていたのかもしれないね。それがいつしか“やりたいこと”に変わって、自然と書きたいことも生 まれていったという感じだった。


■あの作品の詞は、本当にさえわたってると思う。

浜崎:うれしい! つくってる最中、“アタシ、ヤバくない?”って思うほど調子が良かった。で、最終的にさっき言ったように、すごく特別な作品になったんだよね。


■年末に急きょフルになったから、あのタイミングでの取材はほとんどしなかったでしょ。でも、すごく力のある作品だったから、絶対何かあると思ってた。

浜崎:フフフッ。


■あれがあったから『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』もあるわけだもんね。

浜崎:そうだね。今回ベストをつくってつくづく思ったのは、時間ってすごいなっていうことかな。


■“もう絶対無理”と思っていたことも、今なら“なんだ、大丈夫じゃん”って思えるという意味で?

浜崎:うん。すべてを解決して、無傷に戻してくれるわけじゃないけど、確実にいろんなことを和らげてくれるなと思った。そう思ったときに、 それと同じことを、聴いてくれる人たちがそれぞれの人生のなかで感じてくれたらいいなと思ったの。そのためにこのベストをつくってるんだという確信のよう なものが持てたというか。


■聴き手は、浜崎あゆみの歌を通して昔の出来事を思い出すだけじゃなく、いつの間にかそこを乗り越えてる自分がいることに気づくわけだよね。

浜崎:そうであったらいいなと思ってる。


■今回のベストを“BLACK”と“WHITE”に分けたのは?

浜崎:それは単純に1枚には入り切らない数になったから。作業に取りかかった当初は、何にも考えてなくて、1枚に収めるつもりだった。で も、6年っていうのはかなり長い月日でした(笑)。もちろん私なりの理由があって曲を振り分けてはいるんだけど、ぶっちゃけそこはあんまり気にしないでく ださい。


■ジャケット写真については?

浜崎:今回は泣いてないです(笑)。白と黒ってハッキリした別の色だけど、ほぼ同じ色みたいなところもあるでしょ。そんなことを考えながら、自分の二面性について表現してみようかなと。


■例えばどんな?

浜崎:仕事をしてる自分とプライベートの自分って違うし……私は自分のことをすっごくアタマが良くて、すっごくバカだと思ってるし、すっごく大人で、すっごく子どもだとも思ってるの(笑)。そんな部分が出てるんじゃないかな。


■なるほど! 長期構想だったアジアツアーもようやく実現するね。

浜崎:うん。すごく楽しみにしてる。文化もルールも違う国に行くわけだから、あっちではできて、こっちではできないこととかがたくさん出てきて、準備にはいろいろと苦戦してる。でも、台北、香港、上海、日本でやる公演の内容は、基本的にはまったく同じ。


■同じ演出、同じセットリストってこと?

浜崎:そう。同じものを見てもらうことこそが大事だと思ってるの。“日本とアジア”じゃなくて、“アジアはひとつ”っていうことを伝えるためにこのツアーに出るわけだから。


■『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』で過去を清算し、『Secret』で現在を表現し、それを引っさげたツアーでは未来が見えてきそうだね。

浜崎:うん。頑張ります!

2007年12月10日月曜日

interview with - ailko

 昨年8月にリリースされた7枚目のアルバム『彼女』から約9か月、aikoから待望の新曲『シアワセ』 が届けられた。のびやかなソウルネスを感じさせるメロディー、豊かな深みをたたえたバンドサウンド、そして、恋人同士の何気ない日常の風景から、“シアワ セ”の在り方を描き出すリリック。この曲には、彼女のなかにある表現者としての本質がストレートに表れているといっていいだろう。


■『シアワセ』、何度も何度もリピートしたくなる曲ですね。

aiko:ありがとうございます。ホンマですか?


■ホントです。人生そのものを肯定したくなるというか……僕もこれまでの人生のなかでいろんな別れと出会いを繰り返してきたんですが。

aiko:ええ、ええ(笑)。


■今まで体験したすべての出会い、別れをポジティブに受け止められるようになる、そういう力があって。

aiko:うれしいです。そうそう、大事ですからね、そういうことは。あの、私、好きな人と一緒にいると「この人が死んでしまった ら……」っていうのを考えてしまうクセがあって。「じゃあ、バイバイ」って言うでしょ? その次の瞬間、交通事故にあったらどうしよう、とかって思ってし まうんですよ。電話がつながらないと「どうしよう、家で倒れてたら」とか。


■その人を好きになればなるほど、不安も大きくなる。

aiko:うん、最高のときと最悪のときが一緒にやってくる。だから、心の底からシアワセっていう時間がすごく短いんです。それこそ何秒と かで、ジワッと体に染みわたっていくんですけど、その瞬間を大事にしたいし、忘れたくないし、どんなときでも思い出したいなって思って、「ちゃんと曲とし て残しておきたいな」って。これからもきっとくると思うんですよ、「もう、絶対ムリ。ダメ」ってときが。そういうときはこの曲の歌詞を読もうと思うし。


■自分のためでもあるわけですね。大事な人に対して「もし死んでしまったら……」って想像してしまうクセは、昔から?

aiko:そうですね。小さいころ、体があんまり強くなかったんですよ。週に1回くらい高熱を出してたし、何度か入院してるし。手相を見て もらうときも、まず「私、死にませんか?」って聞いてたんです、仕事運とか恋愛運とかではなくて。でも20才を過ぎたころからどんどん丈夫になって、今は ぜんぜん大丈夫なんですけど、小さいときは「死んだらどうなるんだろう?」ってよく考えてたから……それが好きな人にも向けられてるんでしょうね、きっ と。


■情が深いんでしょうね。

aiko:そうなのかな? でも、自分が大事に思う人に対しては、「私の体はちぎれてもいい」くらいに思っちゃうんですよ。たとえば犬を預かったりすると、夜までごはんを食べなかったりするんですよ。1日中犬の世話ばっかりしてて、「あ、ごはん食べるの忘れてた」っていう(笑)。


aikoさんならではのそういうシアワセについての考え方をあらためて曲にしてみようと思ったのは、なぜですか?

aiko:いつもそれがテーマ、という言い方もできると思うんですけど、今回はそれがハッキリと出た感じがしますね。あとはね、これはみん なが感じてることだと思うんですけど、裏切るよりも裏切られたほうがいいと思ってて。たとえばひどいことをして恋人をフッたら、その人は先々、そのことを 思い出して落ち込むと思うんです。でも、フラれたほうは、そのときは死ぬほど悲しくても、ゆくゆくは笑って話せるようになるでしょ。私もそうですもん。学 生時代の失恋話とか、今はネタになってますからね。


■なるほど。

aiko:そういう自分でいたいな、っていう気持ちも入ってるんですよね、この曲には。あとね、(恋人が)寝てるときと車を運転してるときはガン見していいとき、っていうのもあって。


■“隣で眠ってるあなたののどを見て愛おしく感じる”っていう状況が出てきますよね、歌詞のなかに。

aiko:この人のツメって、こんな形してたんや? とかね。そういう細かいディテールを眺めるチャンスって、そんなにないじゃないですか。寝てるときだったら、「何見てんの?」とか言われないし(笑)。


■そういう瞬間に“シアワセ”を感じる、と。恋人との関係以外で、シアワセだなって思うときって?

aiko:いろんなときに感じてますけど、いちばんはライブをやってるときですね。あんなにシアワセな時間はほかにないと思います。バレン タインもクリスマスもいらないです、って思うくらい楽しい。だって、すごい好きな人たちが全部そろってるわけですよ。お客さん、スタッフのみんな、バンド のメンバー……。


■ライブDVDを見てると「こういうふうに歌えたら楽しいだろうな」っていつも思いますけどね。

aiko:ハハハハハ! 良かった(笑)。今回のツアー(“LOVE LIKE POP add. 10th Anniversary”)はすごい走ったりしたから、体力づくりとかも大変だったんですけど、やっと1歩階段を上ったっていう手ごたえがあって。


■では、ライブ以外のシアワセというと?

aiko:えーと、植物とかかな。たくさん植物を育ててるんですけど、夏とかね、1日でニョキニョキって伸びたりするんですよ。水をあげた とたん、パーッと葉が開いたりとか。あとは友だちとごはん食べてるときとか、好きな人が思いがけず、こっちを見ていたりとか。細かいところではたくさんあ りますね、シアワセな瞬間って。


■好きな人との細かい光景を覚えてるんですか?

aiko:覚えてますね。具体的にどんな話をしてたか、っていうのはぜんぜん覚えてないんですけど、そのときに着ていた服とか、どんなメガ ネをかけてたか、とかはわりとハッキリ覚えてて。それはうれしいことだけじゃないんですけどね。悲しいことに対しても、いつまでもネチネチとねたむタイプ (笑)。よく言われますもん、「まだそんなこと覚えてるの?」って。


■何度も話を蒸し返して(笑)。

aiko:そうそう。「それだけ私は悲しかったってこと。だから、そういうところを直してって言ってるの」とか。


■そうやって脳裏に刻まれてるエピソードって、やっぱり曲になっていくんですか?

aiko:なります。日常のなかで覚えてること、夢で見たこととかも。いつも歌詞が先なんですけど、歌詞のなかに出てくる言葉によって、自然とメロディーが決まってくるんですよね。で、とりあえず最初から最後までツルッと歌って、それをカセットテープに録っておいて……。


■え、カセットに録ってるんですか?

aiko:はい(笑)。せめてMDにしてくれ、って言われてるんですけど、嫌なんですよね。(カセットテープを)巻き戻してる時間も大事なんですよ、私にとっては。リズムマシーンとかも使おうと思わないし。


■まったくデジタル化が進んでない(笑)。そういえばインターネットの音楽サイトでインタビューを受けるのも、今回が初めてなんですよね?

aiko:そう、今までやったことがなかったんですよ。


■インターネットが好きじゃない、とか?

aiko:いや、そんなことないですよ。髪の毛を乾かすときなんかに、ちょくちょく見てますから。(ペットの)里親探しのサイトとか、料理のレシピが出てるやつとか、あと、しょこたん(中川翔子)のブログとか。ただ、私自身はぜんぜん詳しくないんですよ。自分のサイトでフォトダイアリーをやらせてもらってるんですけど、それもディレクターにきれいにまとめてもらってて。「添付って何?」っていうレベルですから、私。


■ハハハハハ! いや、いいと思います。

aiko:テレビや映画なんかは、「そろそろビデオはやめて、ハードディスクにしたら?」ってみんなから言われて、新しいものを使ったりしてますけど。曲を作るってことに関しては、まったく変わらず、ですね。


■音楽のテイストも一貫してますよね。たとえば、新しい音楽に触発されて、今までになかったアプローチを試すとか……。

aiko:怖くてできないんですよ、そういうこと。あんまりやりたいと思ったこともないんだけど、変わってしまうのが怖い、っていう感覚のほうが強いので。もちろん、新しい音楽も聴いたりはするんですけど、基本的に好きなのは70年代のものだったりするので。


■好きなものは変わらない。

aiko:食べ物もそうなんですよ。子どものころから好きなメニューが決まってて、たとえばマクド(ナルド)はフィレオフィッシュ、モスは スパイシーモスバーガー、ケンタッキーは和風チキンフィレしか食べたことない。だから、ほら、(テレビの)特番とかあるじゃないですか、改編の時期に。あ あいうのが好きじゃないんですよ。


■いつもと違う! って?

aiko:そう。お正月の空気とかも嫌だし(笑)。


■愛だったり恋だったり、歌のテーマもひとつの方向を向いてて。

aiko:友だち、恋人、親。自分が大事に思っている人に対して、みんなに「愛してるよ」って言うんですよ、私。そういうところは歌にも出てると思うし、ずっと変わらないですね。


■でも、恋愛観は変わっていくでしょ?

aiko:うん、(相手に対する気持ちが)もっと強くなってる気がする。昔は何よりも自分が先だったり、プライドが先走ってたりしたけど、 今は「どうしたら、あなたは笑ってくれるだろう」って考えることが増えてきた。そういう気持ちを相手に伝える、表現することが大事なんだってことも、やっ とわかってきたし。


■なるほど。

aiko:あとはね、好きな人だったり、だれかを思うことって、どんなことがあったとして“一生のこと”って思うんですよね。今生(こんじょう)の別れっていうのはなくて……。


■離ればなれになっても、縁はずっと続いていく?

aiko:「いつかまた会える」って思ってるところはありますね、確かに。ただ、私のなかには「一度別れてしまったら、もうあのころには戻 れない」っていう感覚もあるんですよね。だからね、たとえば高校生のときに付き合ってた人と、同窓会とかで会ったりするじゃないですか。そういうとき、 ちゃんと言えるんですよね。「あのとき実はこういう気持ちで、こういうことを言いたかったんだよ」って話を。


■あのころには戻れない、ということがわかってるからこそ、正直な気持ちが話せる。最後にひとつ。“シアワセ”と思える瞬間が……“何秒”とかではなくて何時間も続く状態って、いつになったら作れると思いますか?

aiko:うーん……。今31才だから、34、35くらいには感じていたいですねえ。でも、まだまだ先でしょうね。今は犬も飼えないですもん、「何かあったらどうしよう」って不安になっちゃって(笑)。

2007年12月9日日曜日

interview with - DJ OZMA

 2007年も精力的に活動中のDJ OZMAが、今年2枚目のシングル『E.YO.NE!!』 をリリース。今作は、彼がリスペクトするDJ DOC(韓国で国民的な人気を誇るヒップホップグループ)の1997年の楽曲『DOCと踊りを』をカバー。心地良いテンポ感に、ドゥーワップな合いの手が からみ合う、キャンディーのように甘くキャッチーなポップ感。もちろん、ウエディングソングとしても、披露宴&二次会パーティーなどで重宝されるであろう 愛すべきポジティブなラブソングに仕上がっている。


■今回、ついに「パワープッシュ」ということで、Yahoo!ミュージックで大特集です!!

DJ OZMA:ありがとうございます!!


■っていうかメチャクチャ忙しそうですよね?

DJ OZMA:そうなんですよ、気がついたら(笑)。


■それこそYahoo!ミュージックでは、昨年2月の台湾でのデビュー記者会見から、韓国ライブやツアーまで追っかけていて、そして年末の騒動がありつつ。かと思ったら今年もずっとレコーディングしてたり、続々とリリースや全国ツアーが控えてるそうじゃないですか?

DJ OZMA:去年は“みんなもっとアゲアゲで遊ぼうぜ!”ってことを言いたくて始めたプロジェクトだったんですけどねー。意外と年末ま で忙しくなっちゃって。楽しんでるふうなパブリックイメージを守るのに必死で(笑)。なので、2007年は早めに準備をしておこうって感じで、去年のツ アーが始まる前からレコーディングを始めてたんです。で、年末年始もずーっとやってて。だから、ほぼアルバムが出せるくらい曲もあがってるんですよ。だか ら今年は余裕だろうと思っていたんですけど、なかなか大変ですね(苦笑)。


■昨年のツアーでも『疾風迅雷~命BOM-BA-YE~』、『E.YO.NE!!』と『マッチ棒』やってましたもんね。

DJ OZMA:そうなんですよ(笑)。去年のツアーでは、アルバムに入ってない曲をたくさんやりましたからね(笑)。今は、もう一度形にし直しているところですね。


■で、完成した『E.YO.NE!!』なんですが、ドゥーワップなコーラスがすごく楽しいパーティーチューンですね。しかもウエディングソングになり得る、ハッピーなラブソングという。すてきです!!

DJ OZMA:元曲をやっているDJ DOCの『DOCと踊りを』という曲が好きなんですよ。振り付けもかわいかったので、いつかやりたいなって思ってたんです。で、去年のツアーのときにト ラックを作って。歌詞は韓国語の歌詞を空耳で聴き取って書いてるんですよ。で、結局意味のわからない文章になるんですけど、そのなかでどこを大事にするか を物語として考えていくんです。今回の場合“チュウチュウしてまたチュウしよう♪”って聴こえるところがいちばんインパクトがあって。で、いろいろ考えて たらマッチ(近藤真彦)の『ハイティーン・ブギ』みたいになってきて(笑)。そしたら、なんか“お前のためならツッパリもやめるぜ!”的なラブソングになって。だから“平成の『ハイティーン・ブギ』”って呼んでください(笑)。


■最近の音楽って、ジャンル的なことでけっこう細分化されちゃってるじゃないですか? そんななか、『E.YO.NE!!』は老若男女が楽しめる、リスナー間の音楽壁をぶち壊すマジカルな楽曲に仕上がりましたよね?

DJ OZMA:自分たちもカバーして思いましたけど、めったにこんな曲はないですよね。やっぱりDOCはすごいなって。 『E.YO.NE!!』を聴いてくれた人から「けっこう今回は歌謡曲っぽいですねぇ」って言われるんですけど、そうかな~? って思う。こんな歌謡曲ない よね!? みんなにこの曲がどういうふうに届くかっていのは興味ありますねぇ。今の時代、どういうふうに受け取られるんだろうなぁって。


■そういえば、『アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士』や『純情~スンジョン~』、『疾風迅雷~命BOM-BA-YE~』 のようにカッコ良くアゲていくチューンと、『My Way』、『Together』、『E.YO.NE!!』みたいに自身の心情をストレートにメッセージとして伝えていくチューンのふたつのパターンがあり ますよね? で、思ったのが、飾らずに愛や友情を表現する楽曲のほうが、実はDJ OZMAが伝えたいメッセージとして本質を突いているんじゃないかなと。

DJ OZMA:そうですね。自分で振り返っていつも思うのは、おれって案外まじめなんだなぁって(笑)。だから自分的には言葉で伝えられ る、歌詞書くのがすごく楽しいんですよ。今もあこがれ続ける職業、作詞家の先生の気分ですね。自分以外のアーティストに歌詞を書く機会はないんですけど、 今小さく夢をかなえてるとこですね(笑)。


■『マッチ棒』の歌詞とか、青春の1ページを少年マンガのように秀逸に切り取っていて良かったですよ。

DJ OZMA:ありがとうございます(笑)。


■歌詞とか男性アイドルといわれてる方に提供してみたらいいのに。

DJ OZMA:『マッチ棒』は、歌謡ロックテイストだったんで、少しイナタイ(※編集部注)んですけどね。シブがき隊とかに提供したいですよね(笑)。


■けっこう今のチャートのポップスとかって流行のルールにのっとった決まり言葉が目立つんですけど、DJ OZMAは独特な言葉づかいで、物語の視点もおもしろくってある意味文学的ですらあると思いましたよ。

DJ OZMA:『マッチ棒』は、元の曲がノラジョ(韓国でカルト的な人気を誇る異色デュオ)の『ナルチゴ(おれを奪って)』って曲なんで す。サビのフレーズ“ナルチゴ~”を日本語にするにはどうしたらいいんだろうって最初に思って(笑)。そこで“マッチ棒~”って韻を踏んでみたと(笑)。 で、ちょうど地元にマッチ棒ってあだ名の先輩がいたんですね。まあルックスもマッチ棒っぽいんですけど。相手のハートに火をつけるだけつけといて、自分は 燃え尽きるという人だったんです。


■うまいなー。物語になりますもんね。

DJ OZMA:そんな思いも混ぜて書いたんですよ。


※編集部注 / 田舎くさくて冴えないことや、くだらないこと。音楽ファンの間では、“泥くさい”“ブルージー”“へたうま”といったニュアンスでも使われる


■ちなみに『E.YO.NE!!』は、季節柄ウエディングソングということであり、今の時代的にもジャストな楽曲ですよね。というか、最近結婚ブームというかラッシュですよね。

DJ OZMA:それにしても多いですよ、今年は(笑)。男は新たな勝負に出ようとするときに、家族を作ったりするのかなぁとか考えたりしますけどねぇ。


■結婚ソングって世の中にいろいろあると思うんですけど、そのなかでも特に好きな曲や、気になっている曲ってあります?

DJ OZMA:僕が好きなのは……、全然結婚ソングじゃないんだけど、発想的に『お嫁サンバ』が好きですね(笑)。あの、“結婚すんな”ってテーマがすごいなって。この間、郷ひろみさ んと対談する機会があって、お話したんです。当時曲をいただいて、今まで唯一歌いたくないと思ったのが『お嫁サンバ』だったそうなんですよ(笑)。今でこ そポピュラーになってますけど「“1・2・3バ 2・2・3バ♪”ってホントかよっ」って(笑)。でも当時のプロデューサーに、これが郷ひろみなんだって熱く語られて納得したそうです。でもこれがなかっ たら、アチチの『GOLDFINGER'99』なんてあり得なかったって言ってて。だからそのあとすごく柔軟になれたのはこの楽曲のおかげだという。そういう曲が世の中にインパクトを残し続けてるんだって感動しましたよね。


■それは良いお話ですねー。DJ OZMAは、どんな結婚生活にあこがれているかとかあります?

DJ OZMA:あ~、それはもう『ぽっかぽか』ですよね。漫画原作もあるドラマです(笑)。結婚ってなんていいんだろうって思いました ね。お父さんが優しくて、お母さんも優しくて娘はかわいくて……。そんなお父さんでも時々嫌になっちゃうときがあって。で、のん気でポジティブな奥さんが 励ましたりとか。奥さんも時々ふてぶてしくなっても、だんなが優しくさとしたりね。いいなぁとか思いながら見てましたから。あれは理想像ですよね。


■ほぅー。

DJ OZMA:『E.YO.NE!!』は、ウエディングソングって宣伝打ち出してますけど、これから結婚する人たちだけに聴いてほしいと か、そんな意識は全然ないんです。むしろすべての恋してる人たちに聴いてもらいたいですね。お付き合いして何年もたったけん怠期な人とかにも、“おれもこ んなこと思ってたんだよなぁ”って、帰り道で奥さんに花を1本買って帰ろうかなとか思ってもらえたらうれしいです。けんかしたときとかでも“出会ったとき のことを思い出して水に流そうぜ”とかね。


■そんなホンワカした気持ちを思い起こさせてくれるメロディーを持つ楽曲ですよね。

DJ OZMA:これから付き合うっていうカップルにも、こんなすてきなことが待ってるぜって思ってほしいし。すべての人に聴いてもらいた いって感じです。たぶん世の中的には、もっとせつない曲のほうがみんなの心をつかむのかもしれないですけどねぇ。でもおれって、どうもポジティブになりす ぎてしまうんです(苦笑)。


■しかし、今後リリースが続きつつ、7月から全国ツアー「THANK-TUARY“サンクチュアリ”」までやっちゃうんですねー。

DJ OZMA:そうなんですよ。ホールツアーなんで不安もあるんですけどね。自分たちは、どっちかっていうと小さなキャパでやるほうが 合ってると思うので。だから珍しくナーバスにもなってるんですけど(笑)。でも、ようやくみんなと話しながらここまでやればおもしろくなるんじゃないか なっていうのが見えてきたところです。まぁ、去年のツアーでは回れなかった全国のみんなに、DJ OZMAってどんなやつか見てもらいたいっていうか。不謹慎男がホントはいったいどんなやつなのかをその目で見て確かめてほしいですね。


■全国津々浦々、9月17日の沖縄まで30公演もありますね。

DJ OZMA:旅は好きなんで楽しみですよ。おいしいもの食べて、おいしいお酒を飲んで、いろんな土地のすてきな女の子と会って……楽しんでいきたいなって思ってます(笑)。


■そのツアーでもやられるような楽曲を今レコーディングしてるんですね?(※取材場所がスタジオでした)

DJ OZMA:そうですね、今まさに大詰めです。こんなに録ってどうすんだよってくらい録ってるんで(笑)。ちょっと楽しみですけどね。


■それにしても、2007年前半からすでに半端ない勢いなんですけど、後半の目標ってあったりします?

DJ OZMA:まぁ、できることならゆっくりしたいと(笑)。


■いや、このスケジュールだと無理ですよ(笑)。

DJ OZMA:これまでは、この山のように用意した楽曲のなかから1曲でも当たってくれたら、もうおれたち当分エクアドルあたりに住むん だろうなって思ってたんですけど(笑)。ただまぁ、そんなにうまくはいかないだろうなぁなんて。自分たちの未来がなんとなくわかっちゃったりもしますよね (微笑)。


■ツアーはもちろん、また年末も盛り上げてほしいですね。

DJ OZMA:そうなんですよ。今年はまだまだ楽曲をリリースしていこうと思ってるんですけど、本当にすべてが年末に向けてのプレゼンだと思ってますからっ。


■楽しみにしてます。それでは最後の質問です。6月に行われるという“友人である翔やん”の結婚式で歌ったりはしないんですか?

DJ OZMA:僕は、あの、招待状届いてないんですよ(笑)。それに意外と友人の結婚式って、仕事でタイミング合わなかったりで出られな かったりして。去年も1回くらい行ったんですけど、それは非常にお金のかかった結婚式だったんです。まぁ、芸能人でもここまでやる人はいないだろうってい う。そこでは、案の定ノセられて歌ってしまいましたけどねぇ。……結婚式営業でもしようかな(笑)。


■いや、この『E.YO.NE!!』は、本当にひとり歩きして人気になりそうな気がしますよ。懐かしくも新鮮なクセになる曲です。

DJ OZMA:ぜひ、みんなに楽しんでもらえる曲になればいいなって思いますねぇ。

2007年12月8日土曜日

interview with - レミオロメン


 人気アーティストの仲間入りをしても、いっさいおごることなく、常に“自分たちの居場所”を探し求めるレミオロメン。そんな彼らの新曲は『Wonderful & Beautiful』。聴き終わった瞬間、ふと自分の大切な人のことが心に浮かぶ、そんな作品だ。この季節にピッタリの、視野の広いキラキラしたアレンジが心地良く、藤巻亮太の歌声はヒートテックのように温かい。年が明ければ5か月間におよぶツアーが待っている彼らに、近況を尋ねた。


■2007年を振り返ってみて、レミオロメンにとってどんな年だったと思いますか。

藤巻:HORIZON』 からアリーナツアーまでやった昨年は、ひとつのことに向かって突っ走った感じでしたけど、2007年に入ってからは“何のために音楽をやるのか?”とか “何を書きたいのか?”とか、それを立ち止まって考えた年でしたね。6月に3人で、1か月間スタジオにこもったんです。そのプリプロ(※編集部注)を経 て、そこから再び、地に足が着きはじめてきた気はしてますけどね。

神宮司:先のことを考えず、純粋に音楽に集中できた時期でした。あーでもないこーでもない言いながら、3人で曲を積み上げていく作業ができたし、楽しかったし、コミュニケーションもより深まったし……。

藤巻:そして夏は野外フェスにたくさん出たんですよ。対バンの方たちと一緒だから、自然と自分たちの立ち位置もわかったし、レミオロメンとして演奏するという、そのことを再び確認できた気もしましたよね。

神宮司:洋楽ファンも多いフェスとか、場所によって聴いてくれる人たちもさまざまだったし、そのあと小さなライブハウスでやったり、いろいろなことを経験したうえでシングルのレコーディングに入れたのが大きかったです。

前田:勢いでこれまで来て、実際その勢いはすごかったと思うんですけど、ここらで“勢い”というより“投げたいところに球を投げたくなった”というか……。それもあっての6月だったし、フェスだったと思います。


■“投げたいところ”というのは?

前田:音楽って、曲があれば、ミュージシャンだったらとりあえずは演奏できるわけですけど、ただ演奏するんじゃなく、しっかり考えたかっ た。でも、考えすぎてもダメだろうし、勢いというものも感情を表現するために必要で、そのあたりのバランスをしっかり取って、クールだけど熱いみたいな、 そんな感覚を目指すようにはなってますけど。


■その6月のプリプロから、今回のシングルへとつながっていくわけですよね。

藤巻:10何曲かやりながら試して、そのなかで最初にしっくりきた曲が今回のシングルになったんですけどね。


■新たな境地みたいなものは?

藤巻:それこそ前だったら、“この心のモヤモヤは何なんだ!?”ってことを音楽にしたら“すっきりした”みたいな、そんなシンプルなこと だった(笑)。でも徐々に、自分のなかに不在感みたいなものが出てきたんですよ。でも、ふと思うと、自分はレミオとしてとか、ミュージシャンとしてとか、 さまざまな立場を意識して作ってたなぁって思って……。そうじゃなく、全部ひっくるめて藤巻亮太として作る感覚を取り戻したかった。それがカップリングの 『リズム』の詞を書き、『Wonderful & Beautiful』を書き終えたころには、不在感も徐々になくなっていったんですけどね。


※編集部注 / プリプロダクション。レコーディング前に曲の構成やアレンジを詰める作業のこと

■『Wonderful & Beautiful』には、車でどこかへ向かう途中、渋滞に巻き込まれた主人公が出てきますね。

藤巻:夜、お台場からレインボーブリッジを渡ったとき、芝浦のマンション群の明かりが見えて、ふと“自分は何才まで東京に住んでいるんだろ う”って思ったんです。そのことも曲を書くキッカケですね。でも……“田舎も都会も、実はあんまり変わらないのかもねぇ”とも考えた。どこに住もうと、何 を知ろうと、それより大切なことがわかったっていうか。今、近くに思う人がいるなら、その人を大切にしなきゃという、そんな気持ちも込めた歌なんだと思い ます。あと、自分たちのことを振り返ってみてもね、これまで何度もミスをしたし、ブレたこともあったんですよ。でもそれでも続けてこられたのは、まわりで 支えてくれた人があったからなんですね。素直にそう思えたし、実際この曲もそんなとても素直な気持ちで書けたんですよ。

神宮司:確 かに車で渋滞にという、そんな場面も出てきますが、そこに限定されない歌なんですね。聴く場所にしてもさまざまでいいし、お店で流れたり、車のなかのラジ オから聴こえてきてもいい。そうやって、どんどん街中に流れていったらうれしいんです。そして“2007年の冬にこういう曲があったな”って、思い出に なってくれたらすごくうれしいです。

前田:さっき“素直に書けた曲”という話がありましたけど、演奏面でもそこに引っ張られたんじゃないかと思います。アレンジにしてもそうですけど、3人とも迷わずまっすぐなパワーが出せましたから。


■カップリングの『Wonderland』と『リズム』に関してもひと言お願いします。

藤巻:『Wonderland』は僕らの作品のなかでも青春色の強い曲で、どういう思いで、どういうアプローチでやっていくかに注意しながら作りました。結果、バンド感をすごく大事にした仕上がりになりましたけど。

前田:この曲は、まさに僕らがそうやって生きてきた気がするし、今ももちろん行きたい場所もある……。それを忘れたくない。そんな思いも込められてると思います。

神宮司:ふと立ち返るじゃないけど、自分たちを見失いがちなとき引き戻してくれるかもしれない、そんな曲じゃないですかね。

藤巻:あ と『リズム』に関しては、今回のレコーディングはここから始まったんです。この曲は、どこかで『Wonderful & Beautiful』にも通じるところがあるかもしれないです。“一人”→“一人じゃない”→“みんな”みたいに、そんな広がりがあるところとかは。

■2008年は1月から5月までツアーですね。

藤巻:まー、すごい数だと思いますけど(笑)。本当だったらアルバムをリリースして、ということが多いんですけど、でも今回はそういうわけじゃなくて、『Wonderful & Beautiful』『茜空』『RUN/蛍』という曲でまわるんですよね。

神宮司:初めて見る人も、何度も見に来てくれてる人も、同じように楽しめるライブにしたいんです。新しいアルバムがないぶん、すでに出ている曲での構成なんですけど、もう何年もやってない曲もやってみようかって、そんなことも話しているんですけどね。

藤巻:そう思わせてくれるのも、『Wonderful & Beautiful』があるからなんですよ。この曲って、『朝顔』から『HORIZON』 までをつなげてくれる、そんな役割も果たすと思うんです。だから次のツアーでは、『朝顔』の曲もできるんじゃないかって思っていて……。 『HORIZON』のツアーのときは、あんまり入り込む余地がなかったんで。でも、この曲のマインドがあれば、あのころの曲もやってみようかって気にもな れる。実はそれが今の僕らにとってすごく重要だし、そういうレミオロメンを見てもらえるライブになるんじゃないのかなって思います。


■さらにツアーのリハまで新たなレコーディングが続いているということは、未発表曲の発表とかあったりして……。

藤巻:どうなるかわかりませんけど、ひょっとしたら“あ、今こんなのやってるんだ”みたいなことも見せられるのかもしれない。でもともかく ツアー中は、全国をまわりながらさまざまなものを拾い集めつつ、次に進んでいきたいなと思います。あとは、ここのところ大きな会場での20本くらいのツ アーが多かったので、見たくても見に来られなかった人も多かったと思うし、今回はしっかりみんなのところまで行きたいな、ということですね。そしてレミオ ロメンて、“こいつらが演奏してるんだな”ってことがわかるライブにしたいです。

前田:これでリハが始まったらね、さらにイメージも固まっていくでしょうけどね。


■ツアー楽しみにしてます。ありがとうごさいました。

2007年12月7日金曜日

interview with - 河村隆一

ソロ・デビューから10年。これまでの足跡の集大成としてリリースされるのが『evergreen anniversary edition』だ。【ディスク1】:これまで発表した楽曲のセルフ・カバー、【ディスク2】:日本の音楽シーンを彩ってきた名曲のカバー、【ディスク 3】:10年間の活動を辿る秘蔵ライブ映像集…という、3枚組作品となっている。収録されている楽曲の数々から、何よりも伝わってくるのは、河村隆一の歌の持っている桁外れのパワーだ。歌声が発せられるや否や、楽曲に籠められた想い、風景、物語は、リスナーの心の中に鮮やかに映し出される。その圧倒的な表現力には、胸打たれずにはいられない。河村隆一の表現力の凄味を豊かに体感させられる今作について、本人に話を訊いた。



■セルフ・カバーと名曲のカバーを行う今回の企画は、どのような経緯で始まったんですか?

河村:今年は『ORANGE』というオリジナル・アルバムを出したんですけど、それによって“コンポーザーとしての10年”というのは、作品に出来たと思うんです。それとは別に、“シンガーとしての10年”という総括をしたいなと思って、取り組むことになりました。

■【ディスク1】のセルフ・カバーに関しては、昔のご自身の歌とじっくり向き合う機会でもあったと思うんですが、やはり変化は感じましたか?

河村:例えば「I love you」は10年前の曲ですよね。僕としては改めてレコーディングした時は、“あまり変わってないのかな”と思ったんですけど、昔のシングルを聴いたら “若いな”というのは感じました(笑)。今の方がゆとりもあるし、声が太くなってるし、シンガーとして肝が据わったというか。懐が深くなった感じはしています。

■その辺はリスナーの方々も聴き比べてみると様々なことに気づくでしょうね。

河村:そう思います。今までの 10年を上半期と下半期に分けるとすると、後半になるにしたがって、高い声を出す時のコントロールが出来るようになってると思う。高い声を出すとキンキンしてしまいがちなんですけど、そうなると耳に痛い音になるんですよね。“高い音なんだけど、癒しのある唄い方が出来ないかな”というのは、下半期にずっと自分の課題として追いかけてたんで、その辺は今にもつながってることだと思います。

■セルフ・カバーは選曲も興味深いですね。シングル曲だけじゃなくて、「彼方まで」のような熱心なファンしか知らない曲も収録されてますから。

河村:僕にとってはどの曲も可愛いですから、順位をつけられなかったんですよ。だから“RKF”っていう、僕のファンクラブの会員のみなさんに順位をつけてもらったんです。そんな中にまず「無題」っていう曲が常にトップ10に入っていて。これは4年前に初めて唄って、ずっと「無題」だったんですけど、それが今回入っている「Once again」です。「彼方まで」もなぜかいつも上位にいたんですよね。これは他の方に提供させてもらった曲なんですけど、ライブで唄った時にすごく評判が良かったんですよ。そういう曲がシングル曲の中に入っているのは、僕にとっても興味深かったです。

■そして、【ディスク2】の方が名曲のカバー集ですね。カバーしたのは一般ユーザーから選ばれた曲なんですか?

河村:そうです。スポニチさんと“RKF”の両方で投票してもらいました。“驚くような曲が選ばれるかな?”と僕も身構えてたんですけど、結果のリストを見た時は“なるほど”と思う曲ばかりでしたね。沢田研二さんの曲や、山口百恵さんの曲から、ミスチルとか中島美嘉さんの「雪の華」のような最近の曲まで唄わせてもらいました。僕のこの10年の活動時期と重なる曲もあるので、とても面白かったですよ。

■そういう中にDEAD END(80年代後半のジャパニーズ・ハードロック・シーンの最重要バンドの1つ)が入っているのが目を引いたんですが。

河村:これは実は僕のリクエストでして。自分のルーツにあるバンドの曲を、どうしても入れたかったんですよ。僕は LUNA SEAのインディーズの頃から数えると、20年近く唄ってるんですけど、自分のルーツにあるバンドの歌を、今唄ったらどうなるんだろう? と思って。“僕はこういうところから出てきたんだ”ということを確かめるためにも、もう一度唄ってみたかったんです。自分を育ててくれた名曲と向き合うのは、僕にとっても得るものはすごく大きかったですよ。

■カバーしている中で特に思い入れの強い曲はありますか?

河村:織田哲郎さんの曲も、徳永英明さんの曲も、尾崎豊さんの曲もそうだし…全曲が僕にとって大切な曲ばかりですよ。そんな中、近年の曲で心に残っていたのは中島美嘉さんの「雪の華」ですね。唄ってみて改めて名曲であることを感じました。

■今回唄った名曲のような作品を、ご自身も作っていきたいという意欲も掻き立てられたのではないでしょうか?

河村:僕は音楽家としての物差しを、常にクリアに持っていたいと思ってるんです。僕が曲を好きになるポイントって、 “キャッチーでポピュラリティがある”ってことがすごく大きいんですよ。例えば“ビートルズで好きな曲は?”と訊かれたら、人によっては隠れた名曲を挙げるのかもしれないけど、僕だったら「Let It Be」。メジャーな曲を挙げるのが恥ずかしいと思うタイプの人もいますけど、僕はそういうのは全然恥ずかしくない。だからこういうカバーをすることが出来たし、今後もそういうクリアな物差しを持ちながら、コンポーザーとして曲を作っていきたいと思ってます。今回、こういう名曲を歌って、自分の血肉にしたことで、その物差しは今まで以上にクリアになった気がしています。

■今回はこのような形で10年を総括しましたけど、来年2月3日の武道館の公演では、今までのフル・アルバムとミニ・アルバムの全70曲を唄うそうですね。

河村:“知らない自分に出会ってみたい”というのもあって、やることにしたんです。70曲唄うことで喉を少し痛めるかもしれないし、体力の限界まで行くかもしれないですけど、それを乗り越えるために自分を鍛えることは、絶対に今後の自分にとってプラスになるはずですよ。僕はハードルを高めに設定して、それに向って自分を構築していく作業が結構好きなんですよね。もともとスポーツが好きですし、唄うことってスポーツに近いことだとも考えてますから。今後も自分の知らない声とか声量とか、力強いものから繊細な表現とかも含めて、いろんなことを学んでいけたらいいなと思ってます。

2007年12月6日木曜日

interview with - 木根尚登

 今、気になるあの人の、人生や音楽活動に影響を与えた出来事や出会いとは? 注目のアーティストに、自らのターニングポイントを語ってもらう連載「私のターニングポイント」。第26回は、12月5日に3年8か月ぶりとなるニューアルバム『SPEEDWAY』をリリースしたTM NETWORKのスポークスマン、木根尚登の登場だ。


「発端は“SPEEDWAY”のアルバムを小室哲哉が買ったことで(笑)」
 あの小室哲哉が 所属するユニット、TM NETWORK。それこそ、現在20代中盤から30代後半にかけてのリスナーは名前を聴くだけで号泣ものだろう。1984年にデビューし、1994年に “活動終了”。その後1999年に活動を再開し、コンスタントにリリースとライブ活動を続けている。
 そんな彼らが80年代に回帰するコンセプト を掲げた新作をリリース。タイトルは彼らがTM NETWORKを結成する以前のバンド名から引用され、サウンドや曲調も80年代の“あのころ”のテイストに近く、まるでバンド名のとおり(“TM NETWORK”とは“タイムマシン・ネットワーク”の略。ダブルミーニングで“多摩ネットワーク”の意もある)に、タイムマシンでデビュー前年の 1983年に戻って制作したかのよう。まさに、優しきメロディーが中毒性を持つ名盤だ。

 「TM NETWORKのデビューは1984年なんですけど、その前に、SPEEDWAYと いう名前のバンドをやっていたんです。1979年に結成して、最初は僕と宇都宮くんがいて、あとから小室くんが加入して。その延長でTM NETWORKのデビュー前にデモテープを一緒に作ったんですね。そのテープは今も持ってますけど、今回のアルバムはそれに近いです。なぜ、こういう流れ になったかを話すと、発端はSPEEDWAYのアルバムを小室哲哉がiTunesで買って(笑)。彼から電話がかかってきて“SPEEDWAY聴い た?”って言うから“聴いてないよ(笑)”って。“最近、iTunesで聴いたんだ。いや、いいよ、これ。あのころの曲とかさぁ”とか彼が言い始めて、 “TM NETWORKとしてこれ出したいね!”ってことになったんですよね」

「やっぱり“夜のヒットスタジオ”出演ですね」
 来年25周年を迎えるTM NETWORK。デビュー後の3年間は良作をリリースしながらもヒットに恵まれず、地方キャンペーンなどを地道に行っていた。結果、地方で人気を得たこと がその後に結びつくこととなる。彼らが絶大なる人気を得ることになった、そのターニングポイントとは?

  「世間的に考えたら、やっぱりフジテレビの“夜のヒットスタジオ”に出演したことですね。もちろんそこまでにいろんな点がありますけど。当時“夜のヒット スタジオ”の放送作家の方が“3人組でコンピューターを使ってやってるヤツら、なかなかおもしろいよ”って、番組のプロデューサーに薦めてくれたんです よ。デビューから3年間全然出演できなかったけど、その間の活動が目に止まってね……。あと、同じくらい影響しているのは小室くんが渡辺美里さんに提供した『My Revolution』ですよね。あれがヒットしなければ、彼はTM NETWORKをあきらめていたかもしれない(苦笑)。あの曲が大ヒットしたときに彼は確信したんでしょう、“曲は間違ってない!”って(笑)。後は売り方や見せ方だと。それが『Self Control』(アルバム『Self Control』収録)、『Get Wild』のヒットに結びつきましたね」

  そしてTM NETWORKは、現在のJ-POPやクラブシーンで当たり前のものとなった“ユニット”という形態の元祖でもある。結成当時からその意識はあったのだろうか?

  「当時は“ユニット”って言葉がなかったからね。最初にてっちゃん(小室哲哉)が僕を誘ったとき、“作曲グループで音楽を作ろうよ”って話だったんです。 今だから言えるけど、当時てっちゃんが言ったのは、“バンドで6人、7人いると金がかかるよ(笑)”って。当時お金なかったですから。また、自分たちの音 楽がそれを演奏するミュージシャンによって限定されるということもあって。時代が変わって音楽の流行が変わっても、その都度ミュージシャンを変えていけば その時代の音楽ができるんじゃないかと。ひょっとしたら同じ時代でいうなら、TM NETWORKとBOΦWYの違いってことでもあるかもしれないね」

2007年12月5日水曜日

interview with - AI

 自分の気持ちに正直に、恋愛も社会的な問題も同じように歌ってきたAI。2007年はロック系の夏フェスにも出演し、もはやヒップホップ・ソウルのディーバという形容は窮屈そうだ。そして、さまざまな熱や感動に触れた今の表現として、6枚目のアルバム『DON'T STOP A.I.』が完成。なかには土屋アンナPUSHIMANTY the 紅乃壱という女性ばかりをフィーチャリングしたナンバーなども収録。“私の意見”から、人とのつながりのなかで見いだした“大きなメッセージ”への開かれたシフトを実感できるはずだ。


■なんか『What's goin' on A.I.』が昨日のことのように思えるんですが。ってことは、作ってるほうはもっと早いワケですよね。

AI:確かに。だけど、まだなんか『I Wanna Know』 歌ってる感じとか残ってる。このアルバムを作り始めたのはちょうど去年のツアーが終わってからだから、最初のほうはまだライブ感が残ってるっていうか、 “ライブで今度こういうことしたいから、こういう曲作りたい”とか。例えば『BRAND NEW DAY』のこういうビート選んだのも、そういうのがあったと思うし。で、時間がたって制作系だけになってくると、スタジオにこもることが多いから、今度は だんだん自分の気持ちがマイナー系になっていって(笑)、バラードとか選んでたりして。で、途中くらいまで作ったときに『DON'T STOP』っていうアルバムタイトルがついたから、それに決めてからはまた“来年のライブどうする?”って話もしてたから、そういうのを考えたらまたアッ プテンポを選んでいったり。そのときの感情や気持ちや、自分のやってることによって作る曲が変わっていったと思う。しかも、今年はサマーフェスティバル系 まわっててそういう時期に作ってたから、ライブを意識した曲がいっぱいあるかもね、前のアルバムよりは。


■じゃあ具体的に曲のことを聞いていきますね。『DON'T STOP』、これはなぜディープ・パープルの『ハッシュ』のサンプリング(※編集部注1)を使うことになったの?

AI:これはですね~、サンプリングされたトラックを聴いて。いろんなトラックのなかでもやっぱ目立つんだよね。♪ナーナナ、ナーナナ ~♪って、“どっかで聴いたことあるけど、こーれはヤバイ!”と思って。全然ディープ・パープルの超ファンとかってワケじゃないけど、ちょっと変わった感 じのことしたいなと思って。まぁ、もしかしてディープ・パープルのファンの人が聴いたら、“おまえ、オリジナル変えやがって!”みたいな(笑)、そういう のもあるかもしれないけど。やっぱ今の音では出せないザラッと感とか、オルガンの音とか、いいなぁと思って。でも、サンプリングの曲って有名であればある ほどできる確率が低くなるから、最後まで“ちょっと待って”ってホールドされてたんだけど、私はもういい曲を見つけたらすぐ歌詞とか考えたいし、メロ ディーも考えたいし。


■この曲じゃないと意味がなかったんだ。

AI:うん、そう。それが、たまたま来年ディープ・パープルが来るらしく。で、サンプリングの件もタイミングが良くて、それだったらプロモーションにもなるかもしれないからいいよ、みたいな。


■すごいタイミングですねぇ。

AI:そうなんだよね。


※編集部注1 / 既存の楽曲の一部を抜粋・引用し、別の楽曲を作り出すこと

■今回のアルバムはトピックも多くて。『BUTTERFLY』にはANTY the 紅乃壱土屋アンナちゃん、PUSHIMが参加していますね。

AI:これは超大変だった。それぞれにまず自分で電話して、本人たちに確認とって。やっぱり本人が「う~ん、あんまり……」って言ったら別に事務所同士で話す必要もないし。


■みんな友だちなんですか?

AI:そうですね。何年か前に名古屋でライブ帰りにクラブ行ったら、ANTYがそこでライブしてて。名古屋弁でラップして、“すごいなこの 子、ヤバイ!”と思って。で、話してみたらいい子で人柄も良くて、いつかなんかやりたいなとは思ってて。あとアンナちゃんは撮影や映画だったり、ちょこ ちょこいろんな場所で会うことが多くて。ちょうど連絡したとき、アンナちゃんは居酒屋かなんかにいて飲んでて。「一緒にやりたいんだけど」「あ? いい よ。やろうよ」って、即OKで。PUSHIMは、レゲエでずーっとやってきててさ。久々にしゃべったんだけど。昔は一緒にショッピング行ったことあるけど (笑)。


■3人3様の景色になりますよね。

AI:そうなんだよね。ジャンルは違っても一緒にできるんだっていうのを見せたかったし、それぞれ私がリスペクトしてる人たちでもあるし、そういう部分がすごい良かったかな。で、女の子をフィーチャリングするのも初めてだったのね。


AIさんはプロデューサー的な部分もあったんですよね、この曲は。

AI:そうですね。やっぱり自分の曲でっていうのはなかったから、レコーディングの現場で聴いて、“ヤバイ、楽しい……”とか思って。それにしても強い女の人たちだなぁと思った(笑)。

■中盤以降にはロックっぽい、どころか“ロックじゃん!”っていう曲もあって。

AI:『THE ANSWER』ね。


■こういう感じの曲がほしかったんですか?

AI:これはホントのこと言うとドラマ「医龍 Team Medical Dragon2」のために作った1曲なの。歌詞もすごく「医龍」っぽいと思うし、心臓の音が入ってたりとか、やっぱりドラマの曲だからっていっても、自分も好きな曲にしないと自信持ってやれないから。


■これがシングルになってたらけっこう問題作だったかも。

AI:そうそう。でも全然好きですね。なんかドキッとするような感じもあるし、やっぱり手術シーンで終わったあとに、バラードじゃないなと 私は思ってたの、ずっと。だけど、みんなに「ドキッとしたあとに安らぎがほしいんだ」って言われて、そう言われると「まぁね」って思っていったというか。 それで『ONE』を作ったんですけどね。


■でもこの両極端な2曲が入ってることで、アルバムの幅は広がったんじゃないですか?

AI:確かにこの2曲が入ったことで、さらに広い感じになったし、今思うとすごい良かったんだよね。『ONE』も『THE ANSWER』もいいし。もし自分の好みだけでやってたらこの2曲はなかったかもしれないし。


■だから前作『What's goin' on A.I.』は大きいテーマがあったけど今回はいい意味で幕の内弁当的なんですよね。

AI:ホントそうだと思う。去年のはやっぱり“ニュース”だったから。まぁ家で歌詞書いてる時間も、テレビつけてる時間も長かったり、朝方 帰ってきて、結局見られるのはニュースだけだったから。事件がもうヒドイのばっかりで、“なんだよ、これは?”っていう疑問が多かったからね。それに本も 事件を扱ったノンフィクションとか、カウンセリング系とかばっか読んでたから。で、自分で曲とか作っちゃえばさ、人に言うわけじゃなくて、まず自分が変わ れたりするから。


■すごくそういう年だったんだよね。

AI:うん。で、今年は逆にもっと人を笑わせたいし、喜ばせたいし、テンション上げさせたい。やっぱりフェスティバルまわったのは大きかったですね。

■フェスティバルといえば、『I'll Remember You/BRAND NEW DAY』の取材のときマキシマム ザ ホルモン見たいって言ってたけど、見られました?

AI:結局、出演日が違ってて見られなくて、それがもう残念でね。でも、ROCK IN JAPAN FES.のバックステージでナヲちゃんに会って。「ファンなんです。写真撮ってもいいですか?」みたいな。そしたらあっちも「ファンなんです」みたいな (笑)。で、「は!? いや、悪いけど私のほうが好きだから!」とか言って。


■告白し合い、みたいな(笑)。

AI:うん。「やった~! うれしい~」。


■(笑)。でもホントにフェスで広がったんですね。

AI:だからこういうアルバムになったとも思うし。自分がいつもやってる場所も大事だけど、やっぱりたまには全然違うとこへ行って、例えば 日本でみんな好きだって言ってくれたら、たまには違う国へ行ってやってみるとか。むしろブーイングがとんでくるぐらいの恐ろしいとこに行ったら、“今度は その人たちを納得させるようにどういう曲を作ればいいんだろう?”とか、すごくいい勉強になるから、そういう意味でフェスには出て良かったと思う。


■ちなみにマキシマム ザ ホルモン以外で、AIさんが“この盛り上がりスゴイ! くやしい!”って思うアクトはありました?

AI:くやしいっていうのはなくて……、ELLEGARDENとか良かったね。お客さんのはねてる感じがすごいわかるんだよね。ただ、自分の選ぶトラックはそういうのじゃないけど、そういう気持ちになれるような曲は作りたいなって、そういうライブ見て思ったり。


■来年のツアー、長いじゃないですか。アンケートとかも楽しみですね。夏フェスで見た人も来るかもしれないし。

AI:そうそうそう。夏に見ておもしろかったから、ぐらいの人にもぜひ見てほしいし。


■来てくれると思うなぁ。さて、最後にベタなんですが、このアルバムをみんなが聴き込んでるころって、クリスマスシーズンだと思うんですが。

AI:クリスマス、ヤバイですね。


■今年はどう過ごしてそう?

AI:クリスマスはたぶんどっかのツリーの下で歌ってそうだな(笑)。なんか何もなくないような気がするんだよね。なーんかありそうなんだよね(笑)。


■人のクリスマスを盛り上げる……。

AI:私も盛り上げてほしいわ(笑)。

2007年12月4日火曜日

interview with - BoA

 2000年8月に母国である韓国でデビューし、翌々年の2001年5月、『ID;Peace B』で日本デビューを果たしたBoA。 当時BoAは14才。“とにかく歌うことが大好きなんです!”と慣れない日本語で話してくれた。実の兄が受けたオーディションについて行ったことがきっか けで、この世界に足を踏み入れることになった彼女に、ここまでの無限の可能性が詰まっていたと当時だれが想像できただろうか? 2006年11月5日、 20才の誕生日を迎えた彼女は、デビューから5年という歌い手としての節目と自らの人生の節目である“20才”を記念して、2007年1月17日に5枚目 となるオリジナルアルバム『MADE IN TWENTY(20)』をリリースする。タイトルが示すがごとく、彼女のいままでの歌い手としてのすべて、そして人生の経験すべてが、このアルバムには詰め込まれているといっても過言ではない。今回は、そんなニューアルバムの話を中心に、BoAの素顔に迫ってみました。


■BoAさんやっとハタチになりましたね!

BoA:はい(笑)。デビューが14才だったので「BoAはいつハタチになるの?」って言われ続けてきたんですけど、これでもう言われなく なりますね(笑)。でも、実感はないんですよ。目に見えるものが大きく変わったということはないし、精神的にも特に大人になったとも思えないし(笑)。で も、やっぱりデビューのころの写真を見ると“老けたなぁ”って思いますけどね(笑)。


■ふ、老けたなぁって(笑)。

BoA:あぁ、“大人になったなぁ”って(笑)。


■20才を機にチャレンジしたいことは?

BoA:もうちょっと日本語を完ぺきにしたいですね。


■完ぺきですよ、BoAさんの日本語。私たちよりも正しく日本語を使えてますよ。

BoA:そんなことないですよ、まだまだだなって思うことがいっぱいありますもん。


■お酒も飲める年になったけど。

BoA:ん? 酒はちょっとだけ飲むんですけどね。


■“酒”って(笑)。

BoA:あははは。ね(笑)。日本語の丁寧語ってむずかしいですよね。こういうとこがまだ完ぺきじゃないんですよ。細かいニュアンスや使い分けが。だからね、自分ではそういうつもりじゃないのに笑われちゃったり突っ込まれたりするんです(笑)。


■正しい突っ込みを入れちゃったね(笑)。

BoA:いえいえ、いいんですよ、そこからいろんな話の展開があったりもするから(笑)。でも、そういう細かいとこもわかって話せたらもっとおもしろいんだろうなって思うんですよね。そしたら、歌の面でももっと細かく感情を表現していけると思うし。



■『MADE IN TWENTY(20)』では、よりいっそうの感情移入を感じたよ。自然な大人っぽさがすごく印象的なアルバムだった。

BoA:それ、本当にうれしいです! 周りのスタッフにも「無理してない感じがいいね」って言ってもらえたことがすごくうれしくて。今回の アルバムでいちばんこだわったところでもあったから。20代になって初めてのアルバムでもあるので、やっぱり最初は“大人”っていうところを意識したんで すけど、逆に大人っぽさを意識し過ぎてしまうと、自分の歌に無理が出てくると思ったので、自分の素直な感情を歌に込めたんです。今回、恋愛の歌詞が多かっ たこともあったので、まだまだ自分が経験していない感情もあったんですが、変に背伸びしないように、その歌詞を読んだときに感じたままを素直に歌ってみた んです。


BoAはいままでもすばらしい感情移入を見せてくれていたけど、今作ではよりBoAの内面を深く感じ取ることができたから、何か心境的な特別な変化があったのかなって。

BoA:はい。いままではディレクターさんが歌詞の内容やストーリーを説明してくれて、そこから自分の感情を絡めていくことが多かったので すが、今回は歌詞をもらって、最初から自分で読んで理解していったんで、人伝えではなく、本当に私が感じたままを言葉にできたと思うんです。それが、聴い てくれる人に無理なく自然に伝わってくれたのかなって思います。


■前作のオリジナルアルバム『OUTGROW』ではBoAさんの作詞曲が多かったけど。

BoA:はい。でも、今回はあまり作詞という形では参加していないんです。今回は“歌う”ことに集中したかったんです。シンガーとして成長したいという気持ちが強くあったので。


■なるほど。今回、2006年リリースのシングル曲も何曲か収録されるけど、シングルでの成長を生かせた感覚はあった?

BoA:ありましたね。『Winter Love』(2006年最後のシングル)が大きかったかな。ラブバラードなんだけど、別れの歌だったんですよ。せつない失恋の歌っていままでなかったから。“やっと失恋の歌も歌えるようになったな”って思いましたね。


BoAのバラードを待っててくれる人も多いんじゃない?

BoA:はい。『メリクリ』(2004年12月リリース)あたりから、特にバラードを待っててくれる人たちが増えた感覚があって、冬になるとバラード曲を作らなくちゃって自分でも思うようになったんです(笑)。


■そうなんだ(笑)。個人的に、今回のアルバムに入ってるBoA作詞の『OUR LOVE~to my parents~』はすごくあたたかい気持ちを感じた。

BoA:『OUR LOVE~to my parents~』は『OUTGROW』 に入れようと思っていた曲でもあったんですけど、バラード曲の割合が多くなってしまったこともあり、とっておいた曲で。両親にあてて書いた歌詞なんです。 いつか、両親への思いを歌詞にしてみたくて。今思えば、ハタチになった今、この歌が歌えたことにすごく意味を感じていますね。実は今回、“BoA THE LIVE”(9月から回ったツアー)に集中したかったこともあり、レコーディングは9月までにすべて終わらせていたんですが、『OUR LOVE~to my parents~』に関しては、それより前にすでにレコーディングが終わっていたんです。でも、“近い距離でBoAの歌と音を感じてほしい”というコンセ プトだった“BoA THE LIVE”を終えてみて、バラードへの感情の込め方を自分的にもつかめた気がしたので、無理をいってツアー後にもう一度レコーディングさせてもらったんで す。そういう意味でも“BoA THE LIVE”は本当にすてきな経験になりましたね。


■そうだったんだ。でも、本当に“ハタチのBoAが歌うからこそ味のある曲”になったよね。バラードだけじゃなく、11曲目の『Prayer』なんて、“こんな妖艶(ようえん)なBoAは見たことなかったかも”って驚いた。

BoA:ありがとうございます! 私も『Prayer』はとても気に入ってます。ここまでファンキーな曲は珍しいですよね。またひとつ新たなBoAを見つけ出せた気がします。


■今回のアルバムでは作曲にも挑戦してるね。

BoA:はい。『no more make me sick』は初めてパソコンで作曲した曲なんですが、カッコいいダンス曲はすばらしい作曲家さんたちが作っくださっているので、私は、リズムで楽しめるよ うな曲を作ってみました。もともとミディアムテンポの曲が大好きで、いつか自分で作って歌ってみたいなっていう気持ちがあったので、今回実現できて本当に うれしかったです。難しかったけど、苦労したぶん、達成感がありましたね。


■それに、アルバムのラストを締めくくる『Gracious Days』は、“新たなスタートをきる前向きなBoA”を感じる鮮やかなナンバーだよね。すごく印象的だった。

BoA:この曲も今の私が歌うから説得力があるのかもなって思います。まだまだ経験不足なとこはたくさんあるし、知らないこともたくさんあると思うんですけど、5周年を迎えた今だからこそ、歌えた歌かなって思いますね。



■2006年はデビュー5周年だったんだよね。振り返ってみて、どう?

BoA:本当にあっという間でした。オリジナルアルバムも5枚目だし、シングルでは21枚目だし、5年間ではもちろん反省もあるし、つらいことがなかったわけじゃないけど、そんな思いや経験も、すべて自分のためになっているような気がするんですよね。


BoAさんは勉強家だよね。ここまでBoAさんを頑張らせた思いって何だったんだろう?

BoA:やっぱり歌うことが好きという思いだと思います。私はちっちゃいころから“歌手になりたい”という漠然とした思いしか持ってなかっ たんですけど、自分が今みたいになれるなんて昔は想像もしていなかったんですよ。歌手として歌い始めてからも、“あの人みたいになりたい!”っていう具体 的な目標を立てていたわけでもなかったし。
 でも、ひとつ言えることは、毎日の小さな努力が重なっていって、いつか大きなことを実現できるんだと いう気持ちを常に持って頑張ったことですね。それと、本当に私は周りのスタッフに恵まれていたことが大きかったと思います。私以上にBoAというアーティ ストを深く理解してくれていて、私の魅力が最大に生かされる楽曲や歌詞を私のために用意してくれることで、私はここまで成長してこられたと思うんです。
  ディレクターさんとはデビュー当時からの本当に古いお付き合いなので、普段から“オススメの1曲”とかいって、どっちが相手をうならせるすてきな1曲を 持ってこられるかって競い合ってオススメし合って遊んでたりするんですよ。最近はオールドR&Bがブームなんですけど、なかなか勝てないんです(笑)。そ んな何気ないやりとりも、私を成長させてくれているんだと思います。そして何よりも、私の歌を待っていてくれるファンのみなさんの応援があったからこそだ と心から感謝してます。


■本当に大人になったね。昔から落ち着いた印象はあったけど、もう“BoAちゃん”って“ちゃん”付けで呼んだら申し訳ない気持ちになってきた(笑)。

BoA:あはははは。いいですよ“BoAちゃん”で(笑)。ハタチになったからって急に変わるのもなんか変だし(笑)。でも、たしかに、昔っからあんまりキャピキャピした女の子ではなかったかもしれないですね。今もね、普段からあんまりしゃべらないんですよ。


■プライベートは暗いっていうか、静かなの?

BoA:いえ、暗くはないですよ。同じ年の人と比べると、あんまりしゃべらないほうかもってくらいで(笑)。日本でのオフはスタッフさんとお買い物に行ったりしてて、韓国では友だちとご飯食べに行ったり映画見たりしてますね。


■そういえば2006年の年明けは実家に帰って、お母さんの風邪をもらって大変だったって言ってたけど、2007年の年末年始の予定は?

BoA:そうそう、去年は母から風邪もらって大変だったんですよね、新年からいきなり病院通いで(笑)。今年はお仕事が終わったら韓国に帰 ります。でも、アルバムのプロモーションや制作があるので、長期間ゆっくり休めないかもしれないですね。でも、お休みは家族とゆっくりしたいです。


■2007年はどんな1年にしたい?

BoA:ひとりの女性としてもアーティストとしても、また一歩成長できる1年にしたいです。10代が元気なイメージで、その元気で人の心を癒やせていたなら、20代は人の痛みがわかる人になって、そんな歌で聴いてくれる人の心を癒やしていけたらいいなと思ってます。

2007年12月3日月曜日

interview with - SEAMO

2006年は、シングル『マタアイマショウ』『ルパン・ザ・ファイヤー』の大ヒット、そしてセカンドアルバム『Live Goes On』がアルバムチャ-トの1位をゲットし、さらにはNHK紅白歌合戦初出場と、名実ともに大ブレイクを果たしたSEAMO。ヒップホップの枠を超え活躍する彼が、ついに新曲『Cry Baby』を発表。しかもこの曲は、映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!」の主題歌でもあるのだ。SEAMOとクレヨンしんちゃん……なんてナイスな組み合わせじゃないか。では今回は、新曲についてはもちろん、ブレイクした今、そしてこれからについて話を聞いてみよう。


■さあ、SEAMOさんの新シーズンの幕を開ける新曲で、映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!」の主題歌でもある『Cry Baby』がついに完成しました。

SEAMO:この曲自体は、2006年の秋からミニ合宿して作ってた曲で、それを映画のスタッフが気に入ってくれたんです。トラックや歌詞はそのままですけど、主題歌が決まってから、お子さん連れで見にきてくれるだろうし、エンドロールに流れるだろうってイメージして、イントロを長くしたり、子どものコーラスやハンドクラップとかの味付けをあとからしましたね。


■メロディーも優しい感じの、心にグッとくるナンバーですね。

SEAMO:まず、トラックありきで音楽を作って、歌詞をつけていくんですけど、僕もメロディーをつけるのにだいぶ味をしめてきまして(笑)、1年前よりウマくなりましたね。


■歌詞は、つらいことを受け入れ、乗り越えていこうというポジティブな内容です。これは、自身の経験から出たものなんですか。

SEAMO:そうですね。ネタになっている時代背景は、シーモネーターとしてうまくいかなかったときの話で、そのころって、印象的な涙がいくつかあったんですよ。テレビで、ハルウララっていう100連敗した馬のドキュメントをなにげなく見てたんです。そのなかで、おばあちゃんがハルウララに手紙を出してたんですよ。「リウマチで手足が痛い。こんなつらいなら死んでしまいたいとも思ったけど、負けても走り続けるハルウララの姿を見て、励まされて生きる勇気をもらった。ありがとう」って内容で。それが、当時の自分とクロスオーバーして号泣しちゃったんです。


■そのころは、精神的にも相当追いつめられてたんですね。

SEAMO:はい。周りの仲間に追い越され、道に迷ってましたね。あのころの涙はコンパイルしておく必要があるなって思ってたんです。でも、あのときに、こういう曲を書いてたら、たぶんグチっぽい歌になってたと思うな。でも今は、あのときがあったから今がある、あのときの涙は最高に力強かったなって思えるんですよ。それで、こういう歌にできましたね。


■苦しい時期を経て、SEAMOとして再スタートして、結果を出した今だからこそ、この曲が作れたと。

SEAMO:ホントそうです。実際、直面してるときってどうしたらいいかわからないし、道を切り開けない。世の中って楽しいことよりうまくいかないことのほうが圧倒的に多いじゃないですか。僕もみなさんと同じく、道に迷い苦労して泣いてた。だからもし道に迷ったり、見失ってる人がいたら、この曲でちょっとでも背中を押してあげられたらいいなと思いますね。あとは、ぜひ会社の管理職とか強いポジションにいる人たちにも聴いてほしくて。普段強く振る舞わなきゃいけない人ほど、いろんなものがたまってると思うんですよ。


■確かに。責任が大きい人ほど、つらさも多いですからね。

SEAMO:でもやっぱり、くやしいことから逃げちゃいけないんですよね。まずは、現状を受けとめて、自分で消化して、それで新たな一歩を踏み出してほしいです。


■壁を乗り越えたSEAMOさんの言葉だけに説得力がありますよ。

■続いては「クレヨンしんちゃん」についても聞いてみたいんですが。

SEAMO:テレビは見たことがあったけど、この仕事やるにあたって、映画を見たんです。ビックリしたのが、テレビだと下品なだけだなーって感じだけど、映画だとメッセージが深くて泣けるんです。子どもがわからないような、大人がターゲットなぐらい深かったですね。


■そうらしいですね。「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」は、映画ファンのなかでも評価が高いと聞いてます。でも、SEAMOさんとしんちゃんって、なんかイメージがダブりますよね(笑)。

SEAMO:そうですね(笑)。最初、主題歌の話が来たときは、一瞬戸惑いもありましたよ。でもよく考えたら、脱ぎキャラだし、下品なクセしてみんなに愛されてるとことか、むしろオレの目指すべきとこだな、人ごとじゃないなと。最近は、しんちゃんの着ぐるみと共演することもあって、親近感がグッと高まってます(笑)。


■(笑)。さて、カップリングの『LOVEミサイル』は、跳ねたビートの楽しいナンバーです。女の子ねらいの歌詞は、モロにシーモネーターの影が出てますね(笑)。

SEAMO:これは、あのころでもいけた曲ですね。もちろん、今の細かい技術やメロディーとかをふんだんに生かしてますけどね。それに、僕は昔を全部否定してるわけじゃないんですよ。むしろ、昔の足あとを誇りたい。くやしい思いをしてきたこと、放送禁止になったことも自信に思ってますよ。で、今は、SEAMOとして新しい技術をどんどん身に付けて、間口を広げてるつもりなんです。だから、涙流してる曲も、車に乗って女の子とイチャつきたいって曲も、パチスロやってる曲も、全部リアルな自分なんです。


■ということで『無想転生』は、パチスロ大好きなSEAMOさんならではのナンバーですね。

SEAMO:これは、「北斗の拳」というギネスブックにも載った名機がテーマなんです。あれは、演出、音楽、ゲーム性と、ズバ抜けてすごかったんです。もう、僕らの心をくすぐりましたね。スロットのコインが出る感じをケンシロウの「アタタタタ!」につなげてるのなんか最高のアイデアですよ。あんなそう快感はない! その気持ちを曲に出したんです。


■ということは、スロットやってて曲のアイデアが浮かぶことも?

SEAMO:ありますね。ルパンも昔から曲にしたいとは思ってたけど、スロットでルパンをやってて、やっぱり曲にするべきだと思いましたからね(笑)。それに、「北斗の拳」ってメガヒットした機種だったんで、それにまつわるドラマもあるんですよ。台の取り合いでケンカが起きたり、朝並んでも台が取れなくて、そこで友だちができたり。大逆転もあれば、大負けして死のうかと思ったこともあったし(笑)。


■男のロマンが詰まってますねー。今もけっこう行ってます?

SEAMO:今は忙しくて並んだりはできないですね。でも、ちょっと前までは、バリバリ現役でしたよ。『マタアイマショウ』が、初日のデイリーチャートでトップ10に入ったって電話を、パチンコ屋で聞いたのは覚えてます(笑)。


■SEAMOさんのライフスタイルと音楽が直結していることが、今のエピソードからもバッチリ伝わってきました。

■ではここで話題を変えましょう。昨年の大ブレイクを経て、変化したことってありますか?

SEAMO:音楽に対する姿勢としては、作品ごとのクオリティーや精神のぶち込み方は変わらないけど、より多くの人が聴いてくれるから、自分の言葉の責任感は重くなりましたね。あと今は、オーバーグラウンドの仕事ばかりで、クラブ行く機会も減ってるけど、今でも、毎週日曜に自分のイベントはやってるんですよ。そこでクラブの空気は吸ってるんです。そういうことを忘れちゃいけないなって。


■気持ちのなかでは、ステイ・アンダーグラウンドだと。

SEAMO:それもあります。それがなくなったらストリートアーティストじゃなくなると思ってるんです。もちろんヒップホップは大好きだけど、僕自身はヒップホップにカテゴライズされるかどうか、今は興味がないんです。ただ、クラブアーティストであることに対しては誇りを持ちたい。そのシーンのなかでホントにやってきたわけだから。上のヤツを食ってやろうとマイク1本で行ったこともある。ことあらば脱いでパフォーマンスしてきたことも誇りに思ってる。あの空気感は絶対忘れたくない。あと、今のメジャーのフィールドからも得ることはいっぱいある。来てみないとわからなかったすごい世界が存在してるんです。僕はその両方を見られてるので、アンダーグラウンドでもメジャーでも吸収できるものはして、それをより自分に生かしていきたいですね。


■では、名古屋のヒップホップシーンの“塾長”と慕われるSEAMOさんから見て、今のヒップホップの若いアーティストたちには、どんな思いを持ってます?

SEAMO:正直、僕がヒップホップ全体を代弁するというのは恐れ多くてできないですけど、ただ、僕に近いポップフィールドの若いヤツに言いたいのは「メロディーのついたヒップホップに対して胸を張ってやれ。そしたらハードコア(ヒップホップ)やロックのとこでやって度胸つけてこい、一発殴られてこい」って(笑)。


■おぉ、でもアンダーグラウンド・シーンってそういう厳しい面もありますからね。

SEAMO:僕も実際に怖い所も通ってきてるんですよ。名古屋ってそういう土地だから。でもそれは貴重な経験でしたね。


■やはり、何事も経験は大事だと。

SEAMO:そうなんです。「お前らのライブに鬼気迫るものがないのは、経験が足りないからだ」って言ってますよ。自分らの域でしかデカい顔できないヤツなんか弱いですよ。やっぱり、どんなジャンルのアーティストでも、すごいパフォーマンスができる人は、だれもが見てくれるんです。今も名古屋で、僕を煙たく思うヤツもいるかもしれない。でも一方で「アイツはアイツでやったよね」って認めてくれてるのは、やりきったってところを見てくれてるからだと思うんです。そうやってくと、結果はついてくると思うんですよね。もしかしたら、そういう僕の今が、実はヒップホップなのかなって思ったりしてますね。


■海外のラッパーも、それを実践して支持されてるわけですからね。それにSEAMOさんの将来の夢は、ウータン・クランの“ウー・マンション”(※編集部注)のごとく、仲間が集結する“シー・マンション”ですからね。

SEAMO:そうです! やっぱりヒップホップのすばらしいところって、リスペクト、フックアップの精神なんですよね。それって、ほかのジャンルにはあまりないことだし。だから僕も、それを後輩や仲間に還元していきたいんです。あとメジャーのシーンでも、どんどんいろんな人とからんでいきたいし。それでオレは名古屋の地を誇って、東京に負けないように、地元のシーンを大きくしていきたいんです。

※編集部注 / スタジオなどの設備を整えたウータン・クラン所有の建物


■今年の夏にフェスを計画してるそうですが、そことつながりそうな話ですね。

SEAMO:今って、全国にご当地のフェスってあるけど、名古屋イコールの野外フェスってないんです。それを、自分らなりに作れればなって。全国から大物を呼ぶんじゃなく、東海地区のヤツらだけでまとめられて、ほかのフェスと同じくらい全国の人が名古屋に集まって盛り上がったら痛快ですよね。自分たちの土地をレペゼン(代表)して盛り上げていく、それこそヒップホップだなって。それが継続していって、最終的に自分の手から離れてもいいと思ってるんです。地元のものになればって。それを頑張ってやりたいと思ってます。


■あと、大ブレイクを受けて、実際のところ不安ってありますか?

SEAMO:ギャグで「あとは落ちるだけです」って言うけど、でもリアルな意見ですよね(笑)。そこと常に戦ってます。確かに不安はあるけど、でも、今までやってきた経験から間違いなくわかるのは、足を踏み外すのはやっぱり自分を見失ったからだと思うんです。僕は、バラエティーの仕事も来るし興味もあるけど、でも今は違う。良い音楽を作る、良いライブをやる、これに終始してれば間違えることはないって思ってるんです。あれこれやって、曲のクオリティーが落ちたら意味がないですからね。


■自分のいちばん大事なものを忘れちゃいけないと。それはだれにでも当てはまることですね。

SEAMO:あと、今リアルに体力は気にしてます(笑)。昔は、のどが強いと思ってたけど、今は過酷なとこでせめぎあうと、良い音が出なくなってきてたりするし。スポーツのベテラン選手と一緒で、体のケアと体力作りは必要だと思ってます。どんなジャンルの先輩方でも、そうやってる人は、年とっても良い声してますよね。


■ミック・ジャガーなんか、60過ぎてるのに歌いながらステージ突っ走ってますからすごいですよね。では最後に、今年の目標を聞かせてください。

SEAMO:さっきのフェスと、あと当たり前のことだけど、しっかりアルバムを出すと。あと、今年はアリーナクラスを一発やりたいです。やっぱり、ヒップホップでアリーナクラスをやれる人って数えるくらいだし。僕も、早くそこに飛び込みたいんです。そしたら若いヤツらを呼んで、「お前ら見てろ。ここだぞいちばん上は」っていうのを見せたいですね。


■まさに、名古屋在住の全国区ヒップホップアーティストの心意気ですね。

SEAMO:で、何万人のとこでもやりつつ、200人のクラブでもやれる感覚を身につけたい。なぜかというと、音が良い悪いに関係なく、その場の環境でやれるタフさって絶対必要だと思ってるんです。どんな状況でもマイク1本で打開できるのが、ヒップホップの強みだし。それをできる人、できない人で、どっちがすごいかといったら一目りょう然ですよね。それでこそ、ストリートアーティストだと思ってるんで。

2007年12月1日土曜日

interview with - 安室奈美恵

 今、安室奈美恵が絶好調だ。2007年第1弾シングル『Baby Don't Cry』がロングセールスを記録し、最新シングル『FUNKY TOWN』も大ヒット。ファンキーでエッジー、だけどばっちりポップな安室奈美恵の新たな魅力に、さらなるファンも急増中だ。そんな好状況のもと、前作 『Queen of Hip Pop』から2年ぶりとなる待望のニューアルバム『PLAY』が完成した。脇を固めるのは、T.Kura+michico、Nao'ymtという、ここ数年来、安室サウンドを支えてきた強力なクリエイター陣2組。驚くほど挑発的なジャケットも超話題の、セクシーでクールな安室奈美恵の最新ポップワールドの謎を探る!


■タイトルも『PLAY』ですし、ジャケットもかなり挑発的。やはり今回はサウンドもイメージも、“新たに攻めていこう”っていう気分だったんでしょうか?

安室:そういう気持ちって、アルバムを作るたびに毎回あるんですよ。また何か違ったことができればいいなとか、冒険できればいいなとか。ア ルバムはやりたいことが大胆になれるから、楽曲も自然とそうなってきたりしますしね。今回のアルバムの場合、『FUNKY TOWN』ができたあとから、“こんな方向性がいいかな”って感じで『HIDE & SEEK』とか濃い曲が一気に増えて、(方向性が)決まっていったんですよね。


■じゃ、『FUNKY TOWN』がキーになった、と。

安室:ですね。あと、もうすぐ30才になるので、30代のキラキラ感だったり、遊び方だったり、余裕の出し方だったりを表現した、大人っぽいアルバムにしたいなっていうのもちょっとあって。


■大人とはいっても丸くなるのではなくて……。

安室:うん、そうですね。やっぱり丸くはなりたくないなっていうのはあって。丸くなるにしても、とがった部分って安室奈美恵には必要だと思うんですよ。だから、丸くなる部分もありつつ、いろんなとこでとがった部分も残しつつっていう。


■30才になることって、けっこう気になります?

安室:少し前はわりと気にしちゃってましたね(笑)。28才ぐらいから、どうやって30才を迎えようって。20才のときは早く大人になりたかったんですけど、結局やってることも気持ち的にも別に何も変わんなかったなって。


■なっちゃえばラクというか、長い人生のなかでもっとも充実した年代なんでしょうけどね、30代って。

安室:そうですよね。だから、どれだけ楽しめるかがテーマっていうか。10代のときも、20代のときも、ちょっと背伸びして歌ってたのが、 今は自分のままで歌えるというか。自立した強い感じの女性像も、ナチュラルなままの女性像も、今のままの自分で表現できるし。あおったりする感じも今だか らできるし、聴いてる人にも自然に伝わるんだろうなって思うんです。前だったらきっとあおりきれてなかった部分も、今ならおもしろおかしくあおったりでき るんだろうなって。そういうことが音楽のなかで楽しく遊んだり、表現できればいいなって思いますね。


■『PLAY』収録のラブソングの場合、恋愛の主導権を握ってるのはほぼ女性側ですよね。それって大人の女性だからこその特権というか。若いうちはどうしても男性に振り回されがちでしょ?

安室:あとはどっちが好きか、ですよね。私はどっちだろうなぁ~? ……振り回されるのがいいですよね(笑)。


■そういう恋愛話って、作詞担当のmichicoさんともされます?

安室:時々は。でもmichicoさんって、すごい私を観察してるんですよ(笑)。例えばmichicoさんが、“これいいだろうな”って いう曲に私がイメージがわかないときとか、“普段は無口であんまりしゃべらないコなのに、曲が来た時点でイメージが違ったらノーって主張するんだな”って 感じで。音選びから私の考えを見られてるっていうか。


■だからmichicoさんの詞と安室奈美恵さんの歌声って、すごくいい具合に反応し合うのかもしれない。

安室:michicoさんの世界観はホント、好きですね。彼女の書く詞って、こんなふうに歌ったらカッコイイだろうなとか、こんな衣装で歌 いたいなとかっていうイメージが次々と浮かんできて(楽曲の世界に)入りやすいんですよ。(楽曲のビジュアルイメージが)浮かばない曲はレコーディングの ときに選ばなかったりするから。


■今回はどの曲がいちばんイメージ的にガンと来ました?

安室:あ、『HELLO』は来ましたね。だから『HIDE & SEEK』も押し曲としてスタッフもみんな押してたんですけど、私は『HELLO』も映像がすごく浮かんでたので、この曲も押し曲としてどうしてもミュー ジックビデオを撮りたくて。ビデオにしたときも絶対カッコ良くなる曲だと思ったので、(イメージどおりの)ビデオが作れて良かったなって。

■今回『FUNKY TOWN』や『HELLO』、『HIDE & SEEK』のミュージックビデオのほか、初回盤の特典映像として安室さんが声優に初挑戦した「The World of GOLDEN EGGS」も収録されているんですよね。

安室:「The World of GOLDEN EGGS」は、前からMTVで見て気になってたんですよ。で、あるとき、T.KuraさんがおもしろいDVDがあるって言って持ってきたのもそのアニメ で。それでみんなで、「The World of GOLDEN EGGS」のなかにGUSHIケンバンドっていうのが出てくるから、沖縄つながりでそこに私が入るのっておもしろいねって話になって。それで 「The World of GOLDEN EGGS」の制作の方に提案してみたら参加させてもらえることになって……。


■そのGUSHIケンバンドでは歌も歌ってますよね。

安室:そうなんです。アルバムの曲をmichicoさんの家の2階の自宅スタジオでレコーディングしてるときに、完成した「The World of GOLDEN EGGS」の映像をスタッフが下で見てて。歌入れをしてたら、下の階からみんなのすごい笑い声が聞こえるんですよ。アルバムに笑い声入っちゃうよ、ってぐ らい。


■え!? アルバムのレコーディングって、そんなアットホームな雰囲気のなかでやってるんですか?

安室:そうなんです。michicoさんの曲は全部自宅スタジオでレコーディングなんで、わりと自分の家みたいな雰囲気なんですよ。


■意外! 自宅スタジオでレコーディングといえば、チープ感やミニマム感が出そうなものなのに、全然そんな仕上がりじゃないから。

安室:ねぇ? T.Kuraさんのマジックがあるんでしょうね。


■そのT.Kuraさん+michicoさんチームと、Nao'ymtさん。今回のアルバムの制作陣はその2組だけだそうですが、ここ最近の安室奈美恵さんにとってこの2組は、まさに気心の知れたチームですよね?

安室:でも、それも初めから決まってたわけじゃないんですよ。ほかの方の楽曲も聴かせてもらってたんですけど、やっぱりどうしても耳に残る のが、T.Kuraさん+michicoさんとNao'ymtさんの曲だったんです。で、アルバムの3分の2ぐらいの曲を録り終えたときに、2組の楽曲し か入ってないんだけど、みたいな(笑)。でも、いいんじゃない? 今回はもうそれでいこうよ、みたいな。


■ここ2~3年いろんな方とコラボしてみたけど、結局この2組が今の気分にいちばんしっくり来た、と。

安室:そうそう。『Queen of Hip Pop』 まではいろんな方にお願いしてましたからね。でも、気が合った仲間たちと作ったってとこでも、妥協のないアルバムになりましたね。時間がないからこの曲 は……とか、そういうのが1曲ぐらいはあったりもするんですが。いつもそれがすごいイヤだったんですけど、今回はそれがないですね。もちろん今回も時間的 にはかなりギリギリでしたけどね(笑)。


■そんな妥協なき今作は、安室奈美恵さんにとって20代最後のアルバムにもなるわけですよね。

安室:はいっ(と言って、右手の親指を立てて小さくポーズ)。“20代最後の挑発、いっとくか?”みたいな(笑)。ツアー中に30才を迎えますけどね。


■8月からの全国ツアー“namie amuro PLAY tour2007”はどんな感じになりそうですか?

安室:大人っぽいツアーにしたいですね。アルバムのイメージを壊さない感じでいきたいなって。しかも、今回のツアーは4~5か月の間に53本もあるんですよね。


■本数も多いし、かなりの長丁場。毎回、特にツアーに向けて体力作りはしないって話ですが……。

安室:去年もしましたけど、今年はね、します!「ビリーズブートキャンプ」のDVDで(笑)。どんだけ「ビリー」がすごいのかっていうのを 体験してみます。去年購入したままほったらかしてたんですけど(笑)、知り合いのダンサーさんが試したら、2日ですごい筋肉痛になって、3日目でやめた いって言い出して。筋力も体力もあって、毎日運動してる人がそんなこと言うなんて、と思って。でも5~6日目からラクになるらしいから、私もちょっとやっ てみようかなって。なので、今年のツアーは「ビリーズブートキャンプ」で乗り切ります!

2007年11月30日金曜日

interview with RIP SLYME

前作『EPOCH』から約1年ぶりに、待望の6thアルバム『FUNFAIR』がいよいよリリースされる。“移動遊園 地”との意味を持つ今作は、まさに遊園地に一歩足を踏み入れると誰もが童心に戻り、無邪気に楽しむことができる、ワクワク度120%の作品となっている。 それにしても、RIP SLYMEの遊園地には、さまざまなアトラクションが満載! ヒップホップを基軸にしつつも、一括りではカテゴライズできないジャンルレスな15曲、15 個のアトラクションが収録されており、いい意味で、今作は前作以上に雑多な感じ、バラエティ色がより色濃くなったアルバム作品といえるだろう。今回はメン バーを代表して、PESとRYO-Zの2人にインタビュー。これぞエンターティナーな、息のあった2人の爆笑トークをお楽しみあれ。

■アルバムを聴き終えて、まず思ったのが改めてRIP SLYMEすごいなと。

RYO-Z・PES:いやいやいやいや。とんでもございません。

■そんな謙虚な。とにかく聴いていて心地よかったというのが、素直な感想なんですけど。今作の制作は、いつぐらいから取り掛かられていたんですか?

PES:4月ぐらいからちょろちょろっと動きはじめて、夏には大体出来上がってましたね。

RYO-Z:今回は通常よりも立ち上げが早かっただけに、締め切りも早かったんですよ。でも、それを可能な限り伸ばしていって。で、結局、ギリギリになったんですけどね(笑)。

■でも、そこまで早い進行って珍しくないですか?

PES:この夏に出したシングルの「熱帯夜」は、昨年のタイミングでできていたし、アルバム曲の「I・N・G」なんか も、昨年の「ブロウ」というシングルのときだし、「Tales」も12月ぐらいに作った曲で。すでに今年始まった時点で3曲が出来上がっていたから、後は イメージ固めぐらいで。

RYO-Z:アルバムタイトルの『FUNFAIR』も、早い段階でDJ FUMIYA君が遊園地っていうワードを出してきたんで、それに乗っかって、じゃあ、“移動遊園地=『FUNFAIR』”にしようかと。作るうえでの指針 として、そういうのがあると早いですよね。そこから逸脱しないように向かっていけますから。

■まさにタイトルの『FUNFAIR』は、RIP SLYMEを象徴するタイトルですね。バラエティに富んだ選曲、構成になってますし。

RYO-Z:でも、実際「ジェットコースター」とか「メリーゴーランド」っていう曲があるわけではないんですけど(笑)。1枚聴いたムードがそういう風に感じてもらえるようにと思って。

PES:最初の頃は、アッパーなテンポのものが多かったので、スローな曲も入れようと、それぞれ作ってこようよという話になったら、そのあとのミーティングで、案の定スローな曲ばかりになって(笑)。

RYO-Z:まさにシーソーゲームだね(笑)。今回は見極め的なことも逆に早い段階で、ジャッジも淘汰されていって。で、かなりたくましい、強い曲たちが残っていき、それらがギュッと詰まったのがこのアルバムと。

PES:最終的に、いろんな楽曲がバランスよく入ったよね。でも、相変わらず前のアルバムから入れようって入らなかった曲があって。

RYO-Z:あ~~! あれは手出しちゃいけないね。

PES:パンドラだね(笑)。

RYO-Z:いっそのこと「パンドラ」って曲名にしたいぐらいだね(笑)。

■入らなかった理由はどうして? 個性が強すぎるとか?

PES:トラック力も結構あるし、悪くはないんだけど、今回も残念ながら落選で。でも、ほっといたら危ないから、できるだけ早く出したほうがいいんだけどさ(笑)。

PES:でも、もしかしたらワインみたいに熟成される曲かもしれないし。

RYO-Z:いい感じのビンテージ感が。作ったのは2006年だから、ボジョレーヌーボだったら、今頃飲み頃なんだけどね(笑)。

■また今作は曲順も絶妙ですよね。もう、はじまりから一気に世界に引き込まれていって、思い切りアトラクションを楽しんで、最後はちょっと切なさも感じられるという。起承転結がハッキリしていて。

RYO-Z:実は最初は、イントロダクションも6パターンぐらいあって。そこから強い2パターンに絞られて、で、結構僕 とPES君はもう1つのほうがいいんじゃないの? って言っていたんだけど、いろいろ話し合って、これに落ち着いて、結果よかったなと。もう一個は、 ちょっと怖い感じだったんだよね。華やかさはどっちもあったんだけど、CD壊れたんじゃない? っていう、ガチャガチャガチャってなるシーケンスだったん で、オープニングから混乱を呼ぶんじゃないかということで、最終的に聞きやすさをとったという。

■今作はそういう意味では、スリリングな楽曲も多いですね。ちなみに楽曲ごとにみなさんがイメージしてるアトラクションみたいなものって、あったりするんですか?

PES:これは何ニーランドの何ブの海賊とか、何ラッシュマウンテンとか。何急ハイランドとか(笑)。

RYO-Z:何ニーランドって(笑)。

PES:最初は乗り物っぽいとか、これはなんであれはなんでってなんていうのもあったけど、“遊園地”ってテーマの時点で、「熱帯夜」「I・N・G」「Tales」の3曲が出来てたんで、そんなにアトラクションにしばられることもないだろうって。

■今作にはモンパチ(MONGOL800)さんとのコラボ作品「Remember」も収録されていたりと、アルバムならではの面白い試みも、たくさんなされていますね。

RYO-Z:ILMARI君がモンパチのメンバーと仲良くなって、「何かやれたらいいね~」的な感じで、2人でデモテー プを作ったりしてたんですよ。で、それを俺らにも聴かせてくれって、フライング気味で聴いてみたらこれはいいぞ、ぜひアルバムに! みたいな。それでモン パチのメンバーに東京にきてもらって、駆け足で作っていって。

PES:あと、今回は初めてフィメールのラッパーの子とか、RIPじゃない人たちが作った曲も混ざっていたりして。俺たち自身もフレッシュな感覚を味わえたし、聴いている人も新鮮じゃないかと。俺たちらしくて俺たちらしくない、俺たちらしくないのに俺たちらしいみたいな。

■ちなみにモンパチさんが東京にきたときは、みなさんでおもてなしをされたんですか?

PES:おもてなしをしようと思ったら、すぐ清作くんにもてなされました(笑)。

RYO-Z:清作くんのほうが東京事情に詳しくて。面目ない感じでしたね(笑)。

PES:おっしゃれ~なバーに連れて行ってもらってね、清作くんはこんなところでお酒飲んでるんかい? 

RYO-Z:いいね~。僕らもこれからそうしようって。

PES:名刺なんかもらってきちゃったりして(笑)。

■皆さんこそオシャレなバーや、芸能人御用達の隠れ家みたいな店に行かれてそうなイメージがありますけど。

PES・RYO-Z:いやいやいや。

PES:僕は最近、もっぱら家飲みなんですけど。芸能人がたくさんいるお店なんて行ってみたいもんだね~。

RYO-Z:触れてみたいもんだね~。できれば写真を1枚!(笑)。

PES:本当だよ。この間、勝どき橋にあるデニーズに行ったとき、このデニーズおしゃれだねって言ってたぐらいだからね(笑)。

RYO-Z:僕らはデニーズレベルだからね(笑)。おかわりコーヒーだけで何時間もねばりますからね(笑)。

■いい意味で、バリエーション豊富な料理があるデニーズと今作、RIP SLYMEの楽曲って共通するものがあるんじゃないかと。誰もが気軽に楽しめるという部分でも。今やトップアーティストのみなさんにも関わらず、そういう感覚を今でも持ちあわせているところが、素敵だなと思いますよ。

RYO-Z:まあ、言ってもワインは飲みますけど(笑)。

PES:RYO-Z君おしゃれやね~。やるね~。

RYO-Z:でも、そのワインはコンビニで買ってくるんだけどね(笑)。田崎真也コレクションはおすすめ! ほんとトップアーティストの仲間入り果たしたい! なのに、なかなかどうして。

PES:ギリギリぶっちぎらないところにいるのが、俺らだよね(笑)。

RYO-Z:結局飲みも5人で集まっちゃったりして(笑)。まさにそれを重ねて、このアルバムですから! 酒と男と女と遊園地ですから!(笑)。

■でも、そうはいっても、ラグジュアリー感、おしゃれ感がちゃんとある、親しみやってやすいんだけど、下町の遊園地って感じとは違うかなと。

RYO-Z:僕、完全に下町生まれ、下町育ちなんで。セレブっぽい奴、友達にいないですし(笑)。

PES:いてもただの顔見知り(笑)。まあ、「熱帯夜」のPVとか、「I・N・G」でネクタイなんかしめちゃったりして、エグゼクティブなムードを出しちゃったりはしてるけど。

RYO-Z:それはあるね。でもさ、毎回そうだけど、今みたいな出来立てほやほや期って比較的、まだまだあれやれたら、この曲こうできたのにな、っていうのがあるじゃん。で、しばらくしてライブとか、こうしたインタビューを通して、曲がどんどん自分たちのものになっていって、曲に対する解釈も深まっていくんだけど、今回のアルバムは、出来立てほやほや期の今の段階でも、すでにみんなのうなずきが“う~ん”ってすごく大きいんだよね。まあ、時間かけて作った甲斐があるのかなと。

■現時点で、みなさんにとって今作は最高傑作だと。

RYO-Z:「ハイ!」とここは言い切っときましょう。でも、前のアルバムの立場いつも考えちゃうんですけどね(笑)。

PES:末っ子は一番かわいいからね(笑)。

RYO-Z:いいね~その表現。まあ、どの子もかわいいことには変わりないんだけど。

PES:でも、唯一長男だけは…

RYO-Z:断然出来悪いな(笑)。

■でも、今作は今のみなさんの愛情をたっぷりと受けて…

RYO-Z:すくすくと。

PES:正味、一番金もかけて育ててますからね(笑)。

RYO-Z:手塩にかけて。ビールを混ぜて、おいしいお肉に仕上げました。

PES:牛かいな(笑)。

■相変わらず音を楽しんでいるなっていうのが、今作からも伝わってきたのですが。音楽を作る作業って、産みの苦しみがある人が多いと思うんですけど、今回はいかがでしたか?

PES:多少はありましたけど、今回は比較的安産でしたね。まあ、早くから力んだからね(笑)。いつもは時間に追われて、スケジュールを先に決めてから、アルバム作業に取り掛かるんだけど、今回はかなり前から準備してたこともあって、結構同時進行でいけたというか。とはいっても、最後はギリギリだったけどね。

■詰めの段階、最終作業で時間がかかったと?

PES:ずっとダラダラしていたのが、最後の一週間で一気にどうにかしようと。夏休み(の宿題)と一緒ですよ(笑)。

RYO-Z:俺なんて始業式から(宿題)スタートしたからね(笑)。夏休みは寝なくていいし、いつ起きてもいいし。そのころからずっと無計画な生きかたしてるな、俺(笑)。

■メンバーみなさん無計画派だったりするんですか?

RYO-Z:メンバーもみんなそんな感じじゃない?

PES:だね。

RYO-Z:でも、俺、結婚してるのに無計画はまずいよな(笑)。

PES:そうだよ。俺は無計画と豪語しても、誰にも迷惑かかんないからいいけど。

RYO-Z:家族計画っていうもんな~(しみじみ)。改めないとな。

PES:これから、これから。でもさ、前作に比べると、今回はみんなでミーティングしたりとか、コミュニケーションを密にとって、次に何をしようとか、計画性が若干出てきたよね。

■ちなみにつねに先陣きって提案されたり、召集される方はいらっしゃるんですか?

PES:そのつどそのつど、だよね。

RYO-Z:気づいた人が、これやっといたほうがいいんじゃねえって。

PES:例えば、SUさんだったらライブのことだったり、DJ FUMIYAだったら音的なこととか。今回は特にいい感じで、分業が進んでいたよね。

RYO-Z:よりほったらかし関係になってたよね。とにかく任せたことに関しては、根拠のない反論はしないという。

PES:「これ、何か嫌だじゃ」許さないよね(笑)。

■暗黙のルールみたいな(笑)。

RYO-Z:それはあったね。このアルバムを聴いた人も、とにかく根拠のない反論だけは許しませんので(笑)。まあ、無理に聴いてくださいとは言わないですけど、一回耳にしてくれたら、楽しめるんじゃないかと。

PES:あんま深く考えず、気軽に聴いて、自由に楽しんでもらえたらと思います。

2007年11月29日木曜日

interview with - Dragon Ash

パンク、ハードコア、ヒップホップ、ドラムンベース、エレクトロニカ、ラテンなどなど。さまざまな音楽要素を飲み込みながら、アルバムごとにガラリとそのサウンドを進化させてきたDragon Ash。ダブルミリオンを記録した1999年のアルバム『Viva La Revolution』で大きな注目を集めたときも、メディアへの露出は最低限。そんな独自のスタイルを貫き、音楽的にもスタンス的にも、常にオルタナティブな道を歩み続けてきた彼ら。2007年、デビュー10周年の記念すべき年に完成した7作目のアルバム『INDEPENDIENTE』。スペイン語で“孤高”を意味するタイトルが付けられたその作品は、まさにこの10年の歩みなくしては完成しなかった1枚だ。


■Dragon Ashは今年でデビュー10周年を迎えるわけですが、当初はKj+桜井誠+IKUZONEの3ピースバンドとしてスタートしたんですよね。

Kj:そうですね。もっと前はサク(桜井)とおれと、女の子がベースをやってたんですけど。で、いろいろあってサクとおれのふたりでドラムンベース(ドラム+ベース)になって。で、IKUZONEがベースで入って、(自分が)ギター&ボーカルをやることになって……。


■その後も、アルバムごとにサウンドやスタイルを発展させながら、7人編成のバンドとなる現在に至るわけで。そんな10年のなかで、“正直このときはピンチだった”っていう瞬間はありましたか? はたから見てると、『HARVEST』が出る前の時期がそうだった気がするんですけどね。ちょうど土下座の看板(※編集部注)のころとか。

桜井:あ~、懐かしいね(笑)。それより何より、『陽はまたのぼりくりかえす』を出して売れなかったら、“じゃあもう辞めよっか”って話になってたよね。

Kj:そうだよね。あっちのほうが全然ピンチだよね。完全に解散方向だったからね。あのときは危なかった、マジで(笑)。『Buzz Songs』がある程度売れたっていうか、一定のラインを超えたので、良かったっていうか。


■そういえば、『陽はまたのぼりくりかえす』を出してすぐぐらいのときに、それまで「ライブはキライ」って言ってたKjが、「初めてライブが楽しいと思った」って言ってたのを覚えてますね~。

Kj:ああ~。仙台のライブだったかな? あれ、普通に公園でやってる“祭り”だったんだよね(一同爆笑)。

桜井:大阪のライブでは『六甲おろし』のSEで出て、ドン引きされたからね(笑)。あのころ、“ブラボーナイト”ってイベントではもう、ダントツで人気なかったし(一同爆笑)。

Kj:いやもう、マジ任せてよ(笑)。“ブラボー~”はvol.3ぐらいまで出たからね。みんな卒業していくのにずっといっから(笑)。「またDragonいるなぁ」って(爆笑)。


※編集部注:『LILY OF DA VALLEY』(2001年)から、『HARVEST』(2003年)の間にリリースされる予定だった新作が完成せず、メンバー全員が謝罪の土下座をする巨大なビルボードが渋谷の駅前に登場した。

■ここまでの話からすると、やはりバンドのターニングポイントとなった作品といえば……。

Kj:やっぱり『Buzz songs』じゃないですかね。あと、『HARVEST』 かな。曲の作り方とかフォーマットとか、(今も)ベースにあるのは『Buzz songs』のときの感じだし。ライブで共感できるようになる曲をやり出して、共感してくれる人たちが増えて、ワンマンライブで充実した時間を過ごせるよ うになってきて。そのころからBOTSくんもバンドに参加するようになったし。いろんなことがあそこから良いふうに転がったっていうか。


■初期Dragon Ashのサウンドフォーマットが完成した1枚であり、今も多くのフォロワーが生まれ続けてる1枚でもありますしね。

Kj:うれしいことですよね。


■そんなふうに進化しながら歩んできたDragon Ashですが、日本の音楽シーンにおいてどういうスタンスにいると自分たちではとらえていますか?

DRI-V:同じようなバンドがいないっていうところで言えば、やっぱり特別なバンドだと思いますけどね。

ATSUSHI:純粋に、飽くなき追求をし続けてるバンドなんじゃないでしょうかね。(音楽性やスタイルは)いろいろ変わってきたと思うんですけど、Dragon Ashとしての太い柱は変わってないっていうか。

HIROKI:おれはもともとバンドに入る前から、カッコいいっていうか、日本の音楽シーンのなかでも、ハイクオリティーな音楽を作ってるバンドだなぁって思ってはいましたけどね。

BOTS:まぁ、 日本のチャート番組とかに出てくる人たちに比べて、テレビに出てないとか、露出が少ないっていうところでは、やっぱ異質なイメージがあるかもね。でも チャートの上位にいる人たちのなかにも、クリエイティブな志を持ってやってる人は超いっぱいいると思うし……。でもおれが思うDragon Ashの、主に降谷建志の作る曲のいいところは、日本人がやるとけっこうダサくなっちゃいがちなところを、すごくスマートに、カッコ良く、聴きやすくする 感じじゃないかなぁって。だから(露出が少なくても楽曲が)チャートに入ってくるんじゃないかなぁって思うんだよね。

桜井:紅白も出たことないしね(笑)。『Viva La Revolution』 が売れて、わりとあれはメディアが持ち上げて、みたいなとこがあったじゃないですか。別におれらが(積極的にメディアに)出たわけじゃなくて、結果的にあ あいう形になったと思うんですけど。でもそのあとも全然テレビとかにも出ないし、「何なの、この人たちは」みたいな。親からもそう言われ(一同爆笑)。だ からいまだに、「ヒップホップっぽいことやってる人たちでしょ?」って言われたりもするし。そのわりには、チャートとかをとおして一般リスナーの耳にも (新曲が)入ってたりして。まぁ、それはそれでいいんじゃないかと思いますけどね。


■そして、ついに7作目のアルバム『INDEPENDIENTE』が完成しましたね。今作でも、前作『Rio de Emocion』からの流れを感じる“ラテン”の要素が大きな役割を果たしていると思うのですが。

IKUZONE:別にこちとらラテンの血なんて流れちゃござんせんってことなんだけど(笑)、(演奏してても)イイなって思うから、自然と そうなったってことなんだろうね。リズム隊としては、求められるものは相当シビアではあるんだけど。でもそれはそれで別に毎度のことなんで、楽しんでやっ てますからね。

桜井:だってさ、アレンジとかは違うけど、昔の曲とかとけっこう共通点はある感じがするんだよね。使ってる楽器とかによってカラーがラテンとかに寄ってるだけであって。芯(しん)はそんなに変わってないんじゃないのって。

Kj:まぁでも、メロっぽい(メロディが立ってる)感じは確実にするよね。シングルほどじゃないし、もっとリズムを強調してるとは思うけど。


■“歌”が映える曲が多いですもんね。

BOTS:あと、『Rio de Emocion』以降、音が有機的になってきてると思うんだよね。


■てことは、音の質感的には『Rio de Emocion』である程度の基盤ができていたっていうことなんですかね?

BOTS:今回に関してはね。


■そういう意味でも『INDEPENDIENTE』は『Rio de Emocion』の延長線上にあるアルバムだとして、作り手として前作以上に飛躍したと思う点はどこですか?

桜井:それはもうね、アルバム買って聴き比べてもうらうのがいちばんですよね。決定的に違うからね(笑)。

BOTS:度肝を抜かれるからね(笑)。

ATSUSHI:覚悟しといたほうがいいと思うよ。


■ちなみに今回、前作にも参加されていた武田真治さんがサックスで、新たにフィーチャリングでケツメイシの大蔵さんが参加されてますよね。

Kj:今回ゲストはそのふたりだけですね。それ以上のフィーチャリングは(時間的に)できないっていう感じだったから。いやもう、全然アイデアもいっぱいあるし、いろいろやりたいとは思ってたし、思ってるけど、(時間的に)限界でしたね。


■それなら、ぜひそれを次のアルバムで実現してもらいたいところなのですが……。

Kj:うん、そうッスね。


■そして、そこへ続くDragon Ashの“今後”が、なるべく近いうちにスタートするといいなぁって思いますけどね。

Kj:それはどうでしょうね。それはちょっと、軽率な発言はできないなって感じですねぇ。


Dragon Ashの“今”が反映されている点ではもちろんですが、『INDEPENDIENTE』は、日本のポピュラー音楽シーンにおいても、すごくハイクオリティーなアルバムだと思うんです。楽曲の構成といい、サウンドのセンスといい、もはや別格といってもいいぐらいに。

Kj:おお~っ。うれしい。ほめられたぁ(笑)。


■ほめてます(笑)。日本のメジャーシーンにおいて、『INDEPENDIENTE』=“孤高”の存在だなと改めて思える1枚というか。

BOTS:あれぇ~。

Kj:おおっ、すげー。おれ、マジやってて良かったぁ~。なぁ? サク! いや、マジでやってて良かったなぁ? デビュー前に切られそうになってたからなぁ(一同大爆笑)。

桜井:ギリギリ土俵際でしたからね。

Kj:おれはもう、「サクとでなきゃやれない」っつって。

桜井:ほんと、ヤバかったです(笑)。


■そんなことも乗り越えてきたからこそ今のDragon Ashがある、と(笑)。ところで、3月からは待望の全国ツアー「Dragon Ash Tour~DEVELOP THE MUSIC~」がスタートしますよね。久々のツアーはどんな内容になりそうですか?

桜井:うちのバンドは、アルバムを出すと(その際のツアーでは)ほぼアルバムの曲を全部やるというスタイルを貫いておりますので、また新し い形で(新曲を)お届けするという感じじゃないでしょうか。詳しくは見てのお楽しみですが。まぁ、そこらへんの意気込みはもう、うちの代表の千葉(DRI -V)から。

Kj:広報の千葉から……(小声で)猪(ちょ)突?

BOTS:ほら、今年はイノシシ年だし、(小声で)猪(ちょ)突猛……。

DRI-V:猛……“千葉”?

BOT今すぐ保存S:はい、猪(ちょ)突猛“千葉”いただきました! ということで、今年は猪(ちょ)突猛“千葉”の勢いで頑張っていきます。Dragon Ashでした~。

桜井:猪(ちょ)突猛“千葉”っつったら本当に行きたくなってくるよね!

Kj:間違いなくみんな来るよ(笑)。

2007年11月28日水曜日

interview with - B'z

 実績の積み重ねでゆっくりと成熟しながらも、常に未来を力強く切り開いていく、目のさめるようなフレッシュネスを保ち続けているB'z。2007年9月21日より結成20周年目に突入した彼らが、16枚目となるオリジナル・ニューアルバム『ACTION』 をリリースする。名声や記録に決して寄りかかることをせず、音楽的冒険心と大いなるチャレンジ精神で次々と金字塔を打ち立ててきた彼ららしく、新作は全 17曲収録という圧巻! のフルボリューム。しかもバリエーションが豊富で、ベクトルも多彩。未来へ向けてのさらなる“攻め”のアティテュードが明確に表 れた、重厚かつ痛快な1枚だ。


■“コンセプト、テーマを立てない”というのが、B'zのアルバム制作に対する基本的なスタンスですけれども。今作はこれまで同様、新しく曲ができるたびに録っていく、という形だったのでしょうか?

松本:そうですね。去年、映画(「俺は、君のためにこそ死ににいく)」)のために『永遠の翼』を書き下ろしたところがアルバムに向けてのスタート、だったんですけれど。そこから“できた曲から順番に”という形です。ただ、今回は時間もたっぷりあったので、ゆっくりと時間をかけてやりました。

稲葉:あまりペースを詰めすぎないようにして、そのなかでコンスタントに結果を出しながら進めていった、という感じです。


■その“ゆっくり”のなかで、どのように流れや向かう所を考えながら進めていったのですか?

松本:今回は、ここ何作かでやってきたジャムセッションではなくて、東京で完ぺきにデモを作り込んでしまってロスには(楽器の)ダビングだ けに行く、というやり方に変えたんです。実は年明けに一度、何曲ぶんかのメロディーを持ってロスに行ったんですよね。で、参加してくれるミュージシャンた ちと一緒にスタジオに入ってセッションしながら曲を形にしていこう、と思っていたんですけれど……芳しい結果が出なくて。正直、ドン底に近い気分になるぐ らい結果が出なかったんです。

稲葉:ケミストリーが起きなかった、というか。たぶん、何かがかみ合ってなかったんだと思うんですけれど。

松本:で、 一度すべてをフラットにして、東京に戻ってプリプロダクション(※編集部注)からやり直したんです。そこでまず、新しい曲からトライしていって、そのあと にロスに持っていった曲から選び抜いたものを形にして。その作業を5月までやって、そこから再びロスにレコーディングのために行きました。


■リスタートしてからはスムースに?

松本:ええ。初日からもう、フルコーラスを1日で形にして、といういつものペースになって。そこからすぐ、波に乗りました。

稲葉:アレンジの段階で詞のアイデアも生まれたし。良いリスタートを切れましたね。


※編集部注 / レコーディング前に曲の構成やアレンジを詰める作業のこと


■東京での制作のなかで、フックになった楽曲というのはどの曲だったのでしょうか。

松本:『黒い青春』、『純情ACTION』……。

稲葉:『パーフェクトライフ』とかも“おもしろいな”っていう話をしながらやっていました。


■けっこうクセのある曲が挙がってきますね。それはやはり、B'z自身が今回の制作において自分たちにとって刺激のある曲を求めていた、ということの表れでもあるのでしょうか?

松本:うん、それはあるでしょうね。もう、長い間活動してきてますからね。だから今回は、曲の構成が今までのB'zとは違って、複雑という かいろんなセクションが出てくる……。そういうのはもう、ホント意識的にやっていましたから。アレンジを固めていくときにも、2番までいったらその場で違 うセクションの歌のメロディーも創ったりもしていたし。とにかく、“AメロBメロCメロ(※編集部注)を繰り返して間奏、そしてコーラスを続けて終わり” みたいなものは絶対にやりたくなかったので。


■『光芒』とか、最後にまったく色の違う大サビが出てきますし。そういうことですよね?

稲葉:はい。あのセクションは、あとから考えて作りましたから。

松本:『光芒』は、やっていくうちにどんどん大作になっていたんです。これは楽しかったですね、やっていて。あと、“シャッフルの曲がやりたいな”と思って創り始めた『HOMETOWN BOYS' MARCH』も、予想以上におもしろい展開の曲にできたと思います。


■では、再びロスに向かってからのミュージシャンたちとの作業のなかで、新しくアイデアが生まれて広がっていった楽曲というのもあったのでしょうか?

稲葉:『トラベリンメンのテーマ』ですね。最高に笑いましたよ、これは(笑)。

松本:ものすごく分厚い、“ビートルズがどのようにレコーディングしてきたか”っていうことが書かれている本があるんですけど。これがもう、エンジニアの人以外には全然おもしろくない本なんだけど(爆笑)。それをジェイ・バウムガードナー(エンジニア)が持ってきて。で、シェーン・ガラース(ドラムス)も大好きなんですよ、そういうのが。だから、この曲はその本に書いてあるリンゴ・スターの ドラムのマイキングを参考にして、ドラムのマイクの位置を決めて。しかも、ショーン・ハーレー(ベース)がまた、ヘフナーのバイオリン・ベースを持ってき て……。ですから、この曲のリズムセクションはビートルズ・スタイルで録ったんです(笑)。でも、すっごく音がいいんですよ、これ。

稲葉:スピーカーからフィードバックの音が出た瞬間、シェーン自身バカ受けしてた(笑)。でもそうやって、みんなが前向きなアイデアを持ってのぞんでいたので、ロスでのレコーディングの現場もとてもいい感じでしたね。


※編集部注 / Aメロ:歌いだしの部分、Bメロ:サビへと展開する部分、Cメロ:Bメロの次にくるメロディー


■ところで、今回のアルバムは、ギターサウンドの重めのものが比較的少ない印象を受けたのですが。全体的に軽やかというか。

松本:アルバムをとおして? いや、そうでもないと思いますけど。


■音色やフレーズはすごく繊細に響いてくるんですけれど、そのぶん重戦車級のリフものとかが……。例えば、『MONSTER』とか『BIG MACHINE』みたいなタイプのアプローチが見当たらないような気がしたんです。

稲葉:ゴンゴンゴン! ってやつですね(笑)。

松本:あぁ、なるほど。でもそれは、けっこうキャッチーに聴 こえてる、ってことじゃないですか。同じぐらいの音質で、『黒い青春』にはローがずっと入ってるし。『純情ACTION』にもけっこう重い音が入ってるん ですよね。ただ、今回はギターの録り方を変えてみましたし、アンプも僕のではなくてジェイが持ってきたのを使ったりとかもしてるので。だから、音は以前と はちょっと違いますよね。あと、アルバムをとおして“変わらなきゃ”っていう意識があったので。あまり自分だけで固まらないでとか、いろんなことにトライ してみるとか……そういう部分が表れてるんじゃないかな。


■そして、歌詞についてなんですけれども。“陰日向”でいうと、“陰”のほうで必至に生き抜いている人物が描かれたものが中心になっている印象を受けたのですが。

稲葉:それは、自分の状況がそういうふうに書かせる状況にあったからだと思うんですけれど。“光”という言葉が最初から道しるべとしてあっ たわけではないんですが、後半になって“光に向かってもがき苦しむ”とか“突き進む”“葛藤(かっとう)する”っていう場面が多いことに自分でも気がつい て。で、“光”というのが(全体的な)テーマなんだな、と。それで、それをタイトルにもしたいなと思っていたんですけど、最終的には“光に向かって何かし らのアクションを起こす”というイメージから“ACTION”という言葉がアルバムタイトルになったんですよね。だから……光に向かっている、ということ は陰にいるっていうことだから、今のその指摘はすごい正しいと思います。


■今おっしゃった“自分の状況”にあったその背景、というのは?

稲葉:それはもう、普通に話してたりニュース見てたり……そういう状態はいっぱいあるので、今だから歌うっていうことではないんですけど。 いつの時代もそうなので。それに、特に答えっていうのもないし。で、結局自分も答えをあまり提示できないので“どうしようかな”とも思ってましたし。でも 『光芒』の最後で、“結局本人は光のところに出られるかわからないんだけれど、それに向かっている姿がだれかにとっての光になればいいんじゃないか”とい う結論に達しまして。うん、そこでアルバムを作っている自分のなかで……解決じゃないですけど、ある種の結論も得られたな、って。書いてるときはそんなに 思ってなかったんですけど、できあがって聴いてその部分にくると“たしかに!”と思ったりするので。

2007年11月27日火曜日

interview with - BONNIE PINK

 BONNIE PINKが、オリジナルとしては約2年ぶりにニューアルバム『Thinking Out Loud』をリリース。前作『Golden Tears』や『A Perfect Sky』 に参加していたスウェーデンのプロデューサーチーム、バーニング・チキンと作り上げた本作は、シンプルなロックサウンドを基調とした、ハンドメイド感たっ ぷりの味わい深い逸品に仕上がった。アルバム制作秘話や昨年のブレイク時の心境、秋に控えた初武道館公演まで、今のBONNIE PINKのモードをたっぷりと聞きました。


■新作はどんなイメージで作ったんですか?

BONNIE PINK:乱暴に言っちゃうとロックというか。私の荒削りな部分、きれいにこざっぱりまとまってはいない作品。素の顔やダークサイド。そういうものを素直に表現した曲が入ってるんです。


■曲作りはいつごろから?

BONNIE PINK:今年の1月、2月と病気で寝込んでいて、そのあと病み上がりで書いた曲たちなんですよ。だから歌詞の内容は、いつ もよりちょっと疲れてるかも(笑)。でも、「ブルーだ……」って落ち込むんじゃなくて、「ブルーだ!」って暴れるような。そっちのほうに持って行きたいな と思って作ったんです。


■『Water Me』以外は、バーニング・チキンがプロデュース。彼ら3人とは年齢が近くて共通言語が多いとか。

BONNIE PINK:ですね。あと、プログラミングも幅広く駆使する人たちなんだけど、バンド活動もしている人たちなので、バンドで作 り出すグルーヴみたいなものを今回は特に大切にしてもらいました。それに私が提示するアイデアってどこかどうしても女性的な気がしていて。なので、男性目 線であったり、日ごろバンドをやってる人たちの発想とか、私にないものを彼らに求めたんです。


■実際、音にはハンドメイド感があるし、シンセやドラムの音色に70~80年代のテイストも感じました。

BONNIE PINK:そうですね。温故知新っていう感じ。何が良くて、何を取り入れて、何を削ってっていう話は毎日していましたし、わりと時間と頭脳を駆使して(笑)、どの曲も録ってる。スウェーデン人の感性と私の感性がいい感じにブレンドされたんじゃないかなって思ってます。


■スウェーデンには2か月滞在されたそうですが、レコーディング中にハプニングはありました?

BONNIE PINK:スウェーデン人って、基本エコなんでほとんどの人が自転車通勤なんですね。そしたら彼らのふたりが自転車を同じ週 に3台盗まれちゃったり(苦笑)。あとはメンバーのひとりの持病が再発しちゃうとか、スタジオの1階部分に空き巣が入るとか。私も最後のほうで、キャベツ を切ってて親指をブスッと切っちゃって。出血で「ふぅ~」ってなってた(笑)。だから、「ハプニング続きだね、わはは」って言いながらアルバム作ってまし た(笑)。

■本作には『A Perfect Sky』以降のシングル曲を収録。その曲が別バージョンで収められているのもうれしいですね。

BONNIE PINK:この曲はBONNIE PINKの 最近の代表曲になりましたけど、それがどのオリジナルアルバムにも属してないっていうのはすごく違和感があって。でも、シングルをそのまま入れるのもしの びないなと思って、ひと粒で2度おいしい感じにしようと思ったんです。後半はオリジナルなんですが、前半はリアレンジをして雄大なストリングスの上にメロ ディーがただよってるというか、そういうサウンドにした。また違った雰囲気で聴けるんじゃないかって思ってます。


■『Broken hearts,citylights and me just thinking out loud』はどんな思いで書いた曲なんですか?

BONNIE PINK:これは向こうに行ってから書いた曲で。街の雑踏のなかで孤独を感じることってあると思うんですけど、そんな 「あぁ、人は人だなぁ」みたいなことをボソッと言ってる自分を書いてるんです。結局、街はそんな人だらけっていうか。みんなそうなんじゃないの? ってい う。だからどうしなきゃいけないとかも言ってないし、わりとクールな視線で。


■どうしてそういう曲を書こうと?

BONNIE PINK:昨今、人とかかわるのが苦手な人が増えてるという印象があって。職種にもよるけど、家のなかで生活が完結している 人が増えてたりとか、孤独率が上がっている気がするんです。で、それをそのまま描写してるんですけど、今は自分から意識しないと勝手に孤独になっていくよ うな街の仕組みができてる気がしていて。もっと人と付き合っていくことに能動的になったほうがいいんじゃないかなって。それをみんなにも感じてほしくて、 この曲のタイトルの最後のフレーズをアルバムタイトルにしたんです。自分で思ってることをひとり言で終えるんじゃなくて、とりあえず外に発して、だれかに 聴き取ってもらって、それを連鎖させていくっていう。もっとloudに、louderにしていったほうが人とつながれて気持ち良くなれるんじゃないかって いう願いが入ってるんです。


■実際、BONNIE PINKさんは思いを外に出せるタイプなんですか?

BONNIE PINK:昔に比べて出すのは上手になりました。昔は気をつかいすぎてすごい疲れてたんです。だけど、気をつかっても相手は 私が気をつかってることに気づいてないことが多いなってことに気づいて(笑)。1998年から2000年までニューヨークに滞在してたんですけど、そこで 自分らしく生きる大切さや思ったことを口に出す必要性を学んだし、それ以降はもっとラクにいこう、もっと人に甘えていこうと思うようになった。気をつかう ときとリラックスするときの切り替えが上手になってきたっていう感じですね。

■昨年は、映画「嫌われ松子の一生」で映画初出演、その主題歌『LOVE IS BUBBLE』、『A Perfect Sky』とヒットが続きました。それを受けて、心境の変化はありましたか?

BONNIE PINK:映画の曲は、撮影の半年前の2004年末に書いていたんですね。で、資生堂のCMソングの話が来たのが2005年 の末。それまで、人からこういうのを書いてくださいとか、そういうオファーを受けたことがあまりなかったので、すごくうれしかったんですよ。その期待に応 えたいっていうのもあるし、作家魂をくすぐられたというか。ソングライターとして求めてもらえるところまで来たんだっていう自信がついたところはあります ね。


■ベスト盤『Every Single Day-Complete BONNIE PINK(1995-2006)-』で初めてBONNIE PINKの音楽に触れた人も多いと思います。そこで、ライブなどに関して、どこか新しいスイッチが入ったところはありますか?

BONNIE PINK:そうですね。去年のツアーとかは曲に対する反応の違いに客層の変化を肌で感じたし。だからこそ、ライブはやりがい があるなって思いました。初めて聴く人にどれだけ印象を残せるかっていう。そういう意味では、ここにきてすごく新鮮。それまでの自分はコンサバになってた かもしれないから、そういう自分のマインドを入れ替えるいいきっかけになったと思うし、初心に帰れた気はしました。


■ところが、そうやって走ってきたら、今年1~2月に病気で寝込んじゃったと。

BONNIE PINK:そう(笑)。“紅白歌合戦”前に風邪をひいちゃって。紅白もギリギリだったんですけど、終わってホッとしたんで しょうね、打ち上げではしゃぎすぎて風邪をこじらせたんですよ(笑)。元日から声ガラガラで熱出して。とにかくせきが1日中止まらないんです。で、ずっと せきをしてるもんだから声帯も壊しちゃって。痙攣性(けいれんせい)発声障害を併発して、要はしゃべり声がふるえるんですよ。


■いつでもビブラート?(笑)

BONNIE PINK:そう(笑)。話すのも歌うのも音程のコントロールがきかない。で、医者にとにかくしゃべるなって言われて。ずっと家にこもっていて、何にもできなかった。一応、曲作り期間だったんだけど、作曲どころじゃないっていうか。もう「死んじゃうんじゃね?」みたいな(笑)。


■でも、結果的にオフが取れてリフレッシュもできたんじゃないですか? 災い転じて福となす、っていう。

BONNIE PINK:全然! ただの災い(笑)。遅れてきた大殺界って感じでした。「去年で終わってるはずなのに、なんで1月に来ん の!」みたいな。悔しいですね、2か月ロスした感じがして。まあ、こうやって話せるようになっただけハッピーですけど、あのときは、「私このまま半年くら いダメかもな」って思ってたんですよ。「最悪、歌手生命も……」とか。もう暗ーくなってたんです(苦笑)。


■じゃあ、明るい話をしましょう(笑)。スウェーデン滞在中に行ったインターネットライブはどうでした?

BONNIE PINK:楽しかったですね。ただ、お客さんが目の前にいないので不思議な感覚もありましたよ。どういうふうに見えてるかわからない状態でやってるから、必要以上に画面に手を振ったり、とりあえずいっぱい笑顔作っとくみたいな(笑)。


■『Thinking Out Loud』の初回盤にはその模様を収録したDVDが付きます。見どころは?

BONNIE PINK:見どころは、ヤンス・リンドゴード(バーニング・チキンのメンバー)が興奮しすぎてヘッドフォンがどーんと落ち たっていう(笑)。でも、それくらい盛り上がってたんですよ。無我夢中になってた。演奏した曲数は少なかったですけど、きっと楽しんでもらえたと思います し、この特典映像で見られなかった人にも楽しんでもらいたいです。


■ライブといえば、9月から全国ツアーが始まります。どんなステージになりそうですか?

BONNIE PINK:アルバムがわりと男気があるので、過去のそういうたぐいの曲もピックアップしてやろうかなと。去年のバンドメンバーにもうひとりギターを追加するので、ギターがフィーチャーされた曲が多くなりそうな気がしますね。


■ファッションのイメージでいうと、スカートよりはジーンズみたいな。

BONNIE PINK:うん。今回はジャケットもジーンズなんでね。今回、気分がジーパンだったんですよね。なんかマニッシュな感じとい うか、最近はモノトーンのなかに原色がばーんと一発入ってるっていうか、そういうのが気分なんです。だから足開いて座ってもOK、みたいな(笑)。そうい う気分でいこうかなって。


■ここのところのビジュアルにはフェミニンな感じがありましたが、かつてのBONNIE PINKのイメージに戻しつつあるんですか?

BONNIE PINK:そうですね。また違う波が来てて。最近は、女らしいとか、意外とかわいらしいもの好きとか、そういうふうに言われ ることも多くて。でも、それだけじゃないんで、そうじゃない部分をそろそろ出していかないと。かわいいほうへかわいいほうへ行っちゃうと、自分に違和感を 覚えるんですよ。だから、バランス良く進めていかないと。


■さて、ツアーは初の武道館公演でファイナルを迎えます。武道館に対する意気込みは?

BONNIE PINK:まだそんなにピンと来てないですね。「武道館だ、どうしよう!?」みたいな緊張感はまだ全然ないんですよ。でも、 バーニング・チキンをゲストに呼ぶのは決まっているし、ツアーの締めでもあるので、いろんな顔をそこで出したいなって。来た人に「いやぁ、楽しかった な」って帰ってもらえるような内容にしようと思ってます。普段使わないくせにスタンドマイクをあえて置いて、永ちゃんみたいにやってみるとか(笑)。あ と、とりあえず一発目に叫んでみます、ブドーカーン!! って(笑)。

2007年11月26日月曜日

Interview with - YUKI

 携帯電話のCMで流れる『ビスケット』とともに、そのキュートで元気な姿を久しぶりに見せてくれたYUKIが、8月8日、約1年ぶりとなるCDシングル『星屑サンセット』 をリリースした。YUKI初のドラマ主題歌となるこの曲は、TBS系ドラマ「パパとムスメの7日間」の主題歌としてオンエア中。かけがえのない大切な瞬間 が、キラキラと輝きながらエネルギッシュに駆け抜けるこの曲は、YUKIならではのポップさとせつなさを持ちながらも、これまでと違った肌触りを感じさせ る、YUKIの新たなスタート地点となる曲だ。


■『ビスケット』が配信されたと思ったら、あっという間に新曲のリリースですね。

YUKI:本当ですね。最近思うんですけど、自分が作りたいなと思う気持ち、作らなければいけない状況が目の前にあると、燃えちゃうタチみ たいです。それが、良くも悪くもインターバルがあまりなくやれているんです。だから、マイペースでやっているつもりなんですけど、けっこう止まらずにやっ ているみたいですね。この間もスタッフに、あまり私がゆっくりしているイメージがないって言われました。集中してやるときの切り替えが、たぶんすごいんで すね(笑)。


■この曲は、ドラマの主題歌ですが、曲はどういうふうに作り始めたんですか?

YUKI:主題歌のお話をいただいて、そこから曲を選んでいきました。ドラマのプロデューサーの方が、『ふがいないや』みたいに疾走感がある感じで、まだ青い果実のような歌がいいなというリクエストをしてくださったので、やりやすかったですね。


■ドラマの台本も先に読んでいたんですか?

YUKI:第1話の脚本と、原作の本をいただいて、原作を読んだあとに脚本を読んだら、そのまま上手にドラマになっていて、ちゃんと絵が見 えるようになっていたので、そこから歌詞は書いていきました。だから、かなりドラマに寄り添っていますね。でも、リクエストがありつつも、“YUKI”の シングルとして新しいものを作らないと私も納得いかないし、聴いている人たちも納得いかないと思うんです。そう思って、いちばん私の歌が響くところ、つま りメロディーがいいこと、という部分を重視しました。いいメロディーでありつつ、これは今まで私があまり歌ったことのないメロディーだと思います。


■ドラマのストーリーから、どういうふうに歌詞の世界を広げていったんですか?

YUKI:原作を読んだときにいちばん私が印象深かったのは、冒頭とラストの、パパが小さいころの娘のことを思うというシーンなんです。一 緒に海に行ったり、花火をしたり。娘の成長によって、どんどん家族は離ればなれになっていくんですけど、家族が共有し合っているものって何かなと思ったと き、夕焼けだったんです。夕焼け、花火、海。そういう一緒に見た風景なのかなと思ったんです。しかもそれは子どもが幼いころの、まだ家族が小さな集合体で いられるときの風景。でもそれは長かったようで、振り返ってみると一瞬なんです。夕焼けとか、流れ星とか、その家族との時間とか。この曲で書いているの は、そういう“一瞬のもの”なのかなと思います。


■『星屑サンセット』というのは、夕焼けが星屑のようにキラキラしているということなんですか?

YUKI:そうですね。「たったひとつの光」という言葉がサビにあるんですけど、10年、20年の間に通り過ぎていく流れ星というか、“願 いをかけたい!”と思う星や光は見逃してしまっていることも多いと思うんです。でも、大人になっていくと、それにすごく注意深くなっていく。子どものとき は自分のことで精一杯でまわりのことが見えないんですけど、大人になるにつれて、どんどん自分以外の人のことも、世界が広くなって見えていくんです。その ときに見つけられる光というのは、実は人生のなかに何回も出てこないと思うんです。


■それは具体的にいうと、どういうものなんですか?

YUKI:人生の大きな出来事に出合うときや、最愛の人に出会うとき。ターニングポイントっていうのかな。何年かに一度現れる希望の星。人 は、どんどん思いやりとかを覚えて、いい人間になろうと頑張っていくんだと思うんですけど、そういう努力をしている人にだけ見える光なんです、希望の光 は。


■そしてこの曲は、主人公の女の子が一生懸命走っているように、すごくキラキラしていますよね。それでいて、せつない部分もあったり。

YUKI:そうですね。この女の子が走らせてしまったんです。何かを成し遂げたり、たとえば文化祭とかで、みんなで作ったものを壊すときの あの悲しい感じって、今の16才にもあると思うし、その感じは出したいなと思ったんです。やっぱり流れ星に願いをかけるのは、ずっと昔からいつまでたって もあるような光景であってほしいし、夕焼けにちゃんと気づくような人類でいてほしい(笑)。100年後、私はいないけど、そういうふうであってほしいなと 思います。


■このドラマは家族がテーマですが、YUKIさんが思う家族って、どんなものですか?

YUKI:このドラマのお話も、コメディータッチでおもしろい話だったんですけど、私がひかれたのは、家族のぎこちない感じなんです。そう いう違和感のある関係はもともと私も感じていて、素肌にラップを巻かれた感じというか、いちばん近くていちばんイヤな存在というか。親子の、愛しているが ゆえの不器用な感じとか、大事に思っていることを伝えられない感じというか。


■そうですよね。恋愛の“愛”とは違いますよね。

YUKI:やっぱり日本の家族で、「愛してるよ」とは言わないですよね。「アイ・ラブ・ユー」を無理やり日本語にしただけで、言葉に出すのとは違うことだと思うんです、家族に対しての思いって。日本語で家族への愛を表現するのはすごく難しい。ひとことでは言えないんです。


■でも、この話のように、お父さんと中身が入れ替わったらとんでもないですよね(笑)。

YUKI:絶対ムリ! 1週間は長いですよ。私もあまり父としゃべらないから、この主人公の子のことはよくわかります。一緒にテーブルに 座っていても話すことがないし、向こうもしゃべりづらいんですよね、きっと。でも、それで嫌いだとか好きだとか、そういうのではない。その微妙なところが 私としては苦手なんです(笑)。


■親子って不思議な関係ですよね。

YUKI:このお話も、お父さんと娘だから成り立つんです。お父さんってかわいいでしょ。私ぐらいの年になると、男性を頼りにしたいという ことよりも、守ってあげなきゃとか、かわいらしいなとか、どちらかというとそういう目線になっているんです(笑)。そう思うと、このドラマの娘と父親のや りとりを見ていても、やっぱり彼女のほうがしっかりしていて、女ってこうなのかな、って思います。


■それにしてもテンションの高い曲ですよね。パワーが凝縮されてる。

YUKI:レコーディングがすごく楽しかったからだと思うんです。曲を作っているときがいちばん楽しいんです。そのテンションが曲のなかに 入ってしまうんだと思います。今は、新しい人たちとやるのもすごくおもしろくて、いろいろとアレンジを進めていくやりとりも楽しいんです。コンピュータだ けどフィジカルな感じ、というのを今目指していて、この曲はかなりそんな感じになっていると思うし、これからもっとなっていくと思います。これはかなり自 分のなかでも新しいんです。


■今回、音を作るときに、いちばん考えたところはどこですか?

YUKI:最初は、もっと80年代の感じがあって、もっとキラキラしていて、トゲや毒が何もない、かわいらしい感じだったんですけど、こう いう世界観であまりかわいらしすぎるほうにいってほしくないなと思ったんです。でも、今回新しくやってくれたエンジニアの中村くんが、ベースとベードラ (※編集部注)を前面に出してくるミックスをしていて、それがこういう情景と不思議にミックスされていておもしろくなりました。単純に、歌をもっと前に出 したい、いい歌を聴きたいなと思ったんです。今は、前衛的なものやざん新なものよりも、メロディーと詞がきちんと聴こえて、いい曲で、それでいてどこかは み出しているようなものをやりたいなと思います。歌入れのときも、歌っているとすごく力がわいてきて、私の持つエネルギーを歌に表そうと思って頑張りまし た。


■はい、めちゃめちゃ表れてます(笑)。しかも歌だけでなく、すべての音がパワフルですよね。

YUKI:そうですね。今はひとつひとつの音の個性を出していきたいと思っているんです。音をひとつひとつ、前よりももっと大事にできるよ うになってきたんだと思います。今回はかなりギリギリなスケジュールだったんですけど、その締めきりのある時間のなかで、奇跡は生まれるんですよね。


■そして、2年3か月ぶりのライブが決定しました! しかも大阪城ホールと日本武道館です。

YUKI:はい。本当にお待たせしました! 私もすごく楽しみです。大きな会場だと、ホールマジックというのがあって、ライブハウスとはま た違う魔法がかかって、音もすごく気持ちいい音で聴けるし、曲のメニューも最大限で見せられるんです。このライブでは、もちろん5年分のシングル曲もやろ うと思っているんですけど、私としては、5才の誕生日という気持ちが大きいんです。ハッピーバースデー、YUKI! なライブにしようと思っています。


■YUKIの5年分のものを見せつつ、最新のものも見せつつ。

YUKI:そうですね。もちろん新曲もやるだろうし。最近いただくファンレターが、中学生からとかすごく若くて、きっと初めて見る人も多い と思うんです。そういう人たちにも、震えるようなライブってこうなんだ! というようなライブのすごさを、10代の大事なときに見てほしいですね。そして 自分でも楽しみたいですね。


※編集部注 / ベースドラム、またはバスドラム。西洋音楽に使われる最も大きな太鼓

2007年11月25日日曜日

Interview with - L'Arc~en~Ciel (ken)

今回のL'Arc~en~Cielのニューアルバム『KISS』 は、あえてファン以外の、それも“最近突出したロックを聴いてないなぁ”と感じている人にオススメしたい。なんたってここには、とびきりR&Rでピースフ ルなクリスマスナンバーも、エッジを研ぎ澄ました人力ドラムンベースもすべてが並列してるうえに、未体験のサウンドスケープが展開されてるのだから。果た してラルクはなぜこんなにすさまじいアルバムを作るに至ったのか。アルバム、そして現在のバンドを象徴する代表的なシングル『MY HEART DRAWS A DREAM』『DAYBREAK'S BELL』の作曲者でもある、ギターのkenに経緯を話してもらった。


■今回、曲出しミーティングをしたときにどんなアルバムになりそうな予感がありましたか?

ken:メンバー4人で“このアルバムのコンセプトをこうしよう”とか“音質をこうしよう”とか……個別にはあると思うんですけど……全員 でしゃべることはなく。で、まぁ今回はいつもよりさらに個人で作ってくるデモが、より思いがわかる部分まで突き詰めたレベルで作ってあったんですよね。だ から、そこをさらにプッシュできるというか、そこにそれぞれの曲の色がなかったら、みんなでこんなアレンジがしたいっていうときに、色づけからしなきゃい けない気がするんですけど、色がもうあるんで、それをもっとさらに濃くしよう、濃くすればいいんだなっていうのは個々の曲が出てきたときに感じましたね。


■kenさんの作曲したナンバーはシングルになってる曲も多いですが、リリースの順番でいくと『MY HEART DRAWS A DREAM』はどれぐらい完成したデモで持っていったんですか?

ken:だいたい、そのシンセとかギターもほぼ(CDになったものと)一緒ですよね。で、ベースラインとかドラムの“ここにこんなんを入れたいな“っていうのもデモに入れて上げましたけど。


■なんかオソロシイ曲ですよね、これ(笑)。

ken:そうですか(笑)?


■パブロフの犬状態です。イントロが流れただけでダメです(笑)。

ken:(笑)。ヨダレ出ちゃいます?


■もう、脱力するし、同時に力わくし、みたいな変な状態に(笑)。

ken:あー、なんかわかります。そういう気分って、好きな音楽聴いたときになったりするじゃないですか? で、その曲作ってるときも……2年前かな? 前作の『AWAKE』 を引っさげたツアーと、「ASIALIVE2005」っていうのを連チャンでやって。その前まで、音楽を聴くことにちょっと飽きてたとこもあるかもしれな いんです。CD聴いてもラジオから流れてくるものも、わりと“へー……(興味ない感じ)”みたいな。でも、そのライブをとおして、“あれっ? ちょっとお もしろいことができそうな気がする”って思えたんですよ。で、“いや、絶対ある。驚けるよ、これ”って思ってツアーが終わったんです。そこからしばらく休 憩のときに、もうなんだろ? 自分がホントに心の底から驚けるものを作りたいなと思って。“なんかいいなぁ”とか“悲しいなぁ、良い曲だなぁ”とかそうい う意味じゃなくて、驚ける曲以外はもう作んない! みたいな気分だったんです。そのときにパッと『MY HEART DRAWS A DREAM』のイントロ、メインのメロディーができてきて、パッと書きました。

■言葉が意味を内包して音楽化するってこういうことか? と思いました。hydeさんが「夢を描くよ」って歌う、その音自体が夢を描いてるというか。

ken:うん(笑)。あと、そのツアーのときに感じたもうひとつの要素として、僕、その……洋楽とかを聴いて、ある種言葉を知らずに音だけ を聴いて“カッコいい!”なんて言ってたんですね。ラルクやってるのにある種、邦楽スッ飛ばしたままだったんです。やっぱ自分たちで言葉を吐くほうの音楽 をやっているとは気付いてるハズなんですけど、意識が薄かったと思うんです。でも、そのツアーをとおして、ライブしながら音聴こえるじゃないですか? そ のとき、hydeの言葉がどんどん入ってくるワケですね。言葉って、曲を作って演奏するとか、レコーディングするとか、いわば“曲にする”っていうときに すごい重要だなって。そーれは……“なんで今ごろ気付いてんだろう?”みたいな感じだったですけど(笑)。


■15年たって(笑)。

ken:15年たって(笑)。それでその『MY HEART DRAWS A DREAM』を書いて、hydeの詞が乗ってそこでホントに思ってた驚きがきて。“あ、やっぱ驚かしてくれたよ”と思って、すごいうれしかったですよね。


■それはうれしいでしょうね。ところで、そのkenさんの“驚きたい”っていうテーマは、音楽を聴いてもおもしろくないっていうところからきてたんですよね。もうちょっと具体的に聞いてもいいですか?

ken:いや、うーんとね、ちょっとまぁヒップホップが大流行だったじゃないですか? もう何をどうしてもヒップホップがキテるときは、メ ロディーがある音楽をすること自体、メロディーがあることが悪、みたいな空気を感じてたんですよね。で、時間がたって、いいものというかマインドがすばら しいものはすばらしく聴こえるし、そうじゃないものは淘汰(とうた)されて、フツウのメロディーがある音楽と一緒の感覚の扱いに世間がなったと思うんです よ、去年ぐらいから……。何、質問されたんでしたっけ(笑)?


■(笑)。いや、でも皮肉なことですよね、その後、歌モノ・ヒップホップ全盛になりましたからね。

ken:あ……だから、そういうときが過ぎて、よけいラクになりましたね。ヒップホップもかっこいいのは大好きですよ。あと、ロックとかの “激しい”の意味を、ある側面から“こうしとけば激しく聴こえる”っていうフォーマットができちゃってた時期もあったと思う。オリジナルじゃなくても、す ごい迫力があるものはいいと思うんだけど、“そうしとけばいい”っていうのが流れてきた瞬間に楽しめない気持ちはありましたね。


■じゃあ、ないんなら自分が作ってやろうって気持ちも?

ken:L'Arc~en~Cielというバンドにいるというところと、ちょうどアルバムを作るというところで、それはそうだったかもしれないです。

■で、このアルバムはホントに一気に聴けちゃうんですが、なんなんでしょうね? この明るさというか前向きさというか。

ken:うーんと、その、まぁ直接聞いたんじゃなくてhydeがインタビューに答えてる雑誌読んで気付いたんですけど(笑)。


■遠まわしなバンドですね(笑)。

ken:hyde自体は、ポップなことにかかわってたんだよね?(スタッフに聞く)斜め読みだから、何がポップなことかはちょっとわかんな いですけど、“ポップなことを意識してた”みたいなことを言ってたので、その部分の要素がアルバムのそこの部分を増幅してるんじゃないでしょうかね。


■15周年のライブのとき、hydeさんはMCで“歌うことがすごく楽しくなった”とおっしゃってましたけど。

ken:ねぇ? けどあれね、本心なのか本心じゃないのかぜんっぜんわかんないんですよね、正直。


■えー(笑)?

ken:まぁ本心だとは思うんですけど、あぁいうとき冗談とか言うから。でもたぶんすごいとこまで行っちゃったんじゃないですか? 確かに 15周年……その前からも思ってたんですけど……やっぱ言葉が刺さってくるし。今回もやっぱ言葉が刺さる歌だったんですよね。だからそこの巧みさっていう のを楽しんでんのかな? って気はします。


■確かに『Hurry Xmas』みたいにかわいらしい曲でも、言葉はすごく入ってくるし。

ken:何の要素がそうしてるかはわかんないですけど、“これはポップだろうな”“これはコアなもんだろうな”っていうものが、同じ土俵の上に並んで見える感じというか。それはおもしろい気分です、うん。


■では今回、ご自身の曲以外で、すごく育っていった曲とか3人に驚かされた曲といえば?

ken:最初に言ったとおり、デモの段階でカタチは見えてたんで、すごい変化した曲っていうのは、そこまでないかもね?


■じゃ、曲が出てきた段階でびっくりした曲は?

ken:やっぱ『Hurry Xmas』ですね(笑)。で、最初この曲はストリングスとかのアレンジは入ってなかったんですけど、ビートとかジャズの空気っていうのはもう入ってたん で、“おいおいやったことないじゃん”“ええ~っ?”みたいな(笑)。しかもhydeが“クリスマスソングだ”って言った瞬間に余計“そうかー”って。


■おもしろいんですけど、この曲、キリスト教的なクリスマスを全然感じないんです。

ken:はははは。


■もっと自由な架空の楽団っぽくて。

ken:そうですね。やんちゃさは求めてたし、パーティーとしてのクリスマスへの思いの曲だとは思うし。


■クリスマスの定石に落ちそうで落ちてないところに“やられたなぁ”と(笑)。あとほかにびっくりした曲ありますか? けっこう出てくる人から、出てくるべくして出た曲ばかりですか?

ken:あとは……『SEVENTH HEAVEN』もびっくりしましたね。


■完全に確信犯じゃないですか? 今回hydeさんは。

ken:かもしんないですね(笑)。最初は打ち込みでいきそうな空気っていうのが漂うデモだったんで、“そうきたか~”って。でもやっぱり バンドはすっごいアレンジを頑張るか、ロックだ! っていう何かを注入していかないと、それこそデスクトップのミュージシャンと一緒になっていく時代なの で。その辺は出していかないといけないなとは思いますね。

■それにしても、自分が楽しんで驚いてというのが大前提だとしても、その本気感がすごいんですね、今回。

ken:だから本気で臨まないと自分らが驚けない年になっちゃったってことじゃないですかね。


■いろんなことに対して×をつけることのほうが多くなるのかもしれませんね、“もう見た”みたいな。

ken:そうそう。“もう見た”“これ何年前にやった”“知ってる”ってなっちゃう。


■だからといって、やってないジャンルとかで新しさを出すんじゃなくて、自分も変化していってるということを素直に表現してる感じですね。

ken:まさにそのとおりですね。なんか言葉で説明できないんですけど……、驚くこだわりはここであって、見た目のここじゃなくてっていう気分はありました。……何もわかんないですね、この説明じゃ(笑)。


■(笑)。でもそれがL'Arc~en~Cielっていうバンドのユニークさだと思います。じゃあ最後にすごくカジュアルな質問を。アルバムもできて、プロモーションも忙しくて、またツアーも始まりますけど、kenさんは普段は何してるんですか?

ken:普段ですか? ……何してる?(スタッフに聞く)ギター弾いてるよね? とにかく弾いてる。


■そんなに探求を(笑)。

ken:ちょこっと練習するとダメなとこが見つかるんですよね。で、それをやって練習してるうちにまた見つかる、と。で、どんどん自分の思ってるところへ近づいて行くのが止まらないんですよね。それが楽しいんだと思います。うん。そんなんばっかりです。それと散歩ぐらいで。


■散歩はめい想できますからね。

ken:散歩、ぼんやりできますよね、うん。


■そうですか。ところで今、『Hurry Xmas』弾けます(笑)?

ken:大丈夫ですよ、もちろん(笑)。

2007年11月24日土曜日

Interview with - 奥田民夫

ロック・バンド、UNICORNのデビューから今年でちょうど20年。その20周年を祝うがごとく今年に入り、初となるソロとしてのベスト盤。井上陽水氏との共作アルバム。そして、この10月には、UNICORN/ソロ時代と2種、それぞれ2枚組のトリビュート盤がリリースされ、巷ではちょっとした祝福ムードに湧いている、奥田民生。そんな彼がオリジナル・シングルを久々に発売。民生=独特のマイペース・ノンポリ感漂う楽曲が数多なイメージがあったのだが、今回の新曲2曲は、それをくつがえす、妙にドッシリとした<期待を背負う男>感が楽曲全体からかもし出されている。奇しくも、ちょうど20年前にUNICORNがデビュー(1987年10月21日デビュー)した次の日、その新作の事を中心に色々と話を伺った。


■今年に入り、初となるソロとしてのベスト盤を出したり、2月には井上陽水さんとのアルバムを出したり、この10月にはトリビュート・アルバムが2種出たりしていますが、ご本人的にはこの盛り上がりをどう見ておられますか?

奥田民生:単純に嬉しいですよ。まあ、ベスト盤やトリビュート盤といった類は、自身の今までの音楽活動の“ごほうび的” に思っていて(笑)。トリビュート盤にしても、期待通りの人もいれば、意外なアプローチもあったりと、色々なアーティストの様々な解釈や消化を面白く聴かさせてもらったし。やっつけ的なものは一曲も無く、貴重な時間を僕なんかの為に、しかもみんな頭を使ってくれて、ホントありがたかったですね。

■ちなみに20年前は、今の自分はどうなっていると思ってました?

奥田民生:何も思ってなかったな。元々将来のことなんて考えるタイプじゃなかったし。“音楽活動は続けていきたいな・・・”とは思っていたけど、それに際して特に具体的なビジョンも無く。運動選手みたいに選手生命も無いですからね、この仕事は。それこそ当時は、もう 3日後までのスケジュールしか気にしてなくて(笑)。その繰り返しですよ、この20年。得たものもあれば、失ったものもあったし…。

■その得たものとは、例えば?

奥田民生:体重が増えたり(笑)。最初の頃出来ていなかったものも、徐々に出来るようになったり。色々な体験や経験をして、色々なものが見えたり、分かってきましたからね。

■逆に失ったものは?

奥田民生:やっぱり体力かな(笑)。あと、肌の艶や、爽やかな汗の感じとか(笑)。

■とは言え、非常に良い歳の取り方をしてますよ、民生さんの場合。遊ぶ時は遊び、キメる時はキチンとキメる、みたいな。

奥田民生:常にメリハリをつけようとは意識していて。音楽を仕事にしている以上、例え苦労していても、苦労している様に見せちゃいけないし。自分的には「これはこんなに頑張って作りました」と語るタイプじゃないですからね。それを言っちゃうと、そういった先入観が楽曲に付いちゃうし。僕はそれがイヤで。なので、どれも「プップと出ました」と、あえてニュートラルな姿勢で語ってます。

■確かに今までの民生さんの楽曲には、そのようなスタンスの楽曲が多かったんですが、それに比べ今作の「無限の風」、「明日はどうだ」と、今までの民生さんの楽曲には見られなかった、いわゆる<男の背負うもの>を感じさせる楽曲が並びましたね。

奥田民生:今回はたまたまですよ、たまたま。今、並行して作っているアルバムは、相変わらずこの2曲をくつがえす曲も沢山あるし(笑)。なので、「今はこういったモードなんですか?」と聞かれると、「全然」と答えるしかなくて(笑)。アルバムを聴いたら、いつも通りのバランスに、きっと、“な~んだ、やっぱり”と思いますよ。特に今回の「無限の風」の方は、星野(仙一=野球日本代表監督)さんに向けて作りましたからね。これで楽曲がふざけてたら、星野さんに怒られますから(笑)。

■では、この曲は星野JAPANに捧げているところも?

奥田民生:ありありですね。“星野さんはこんな男なんじゃ?”と僕なりの星野像をイメージして作りましたから。なので、僕が作って歌ってはいるけど、感覚的には僕だけの歌とは思ってなくて。

■とは言え、独特の民生さんの歌い方も良い感じにサウンドに絡んでいて、なんとなくフツフツとしたエモーショナルさを感じたんですよ。

奥田民生:歌に関しては、あまり着飾ったりテクニカルな歌い方が好きじゃないんで、あえていつも通り朴訥な歌い方をしてみました。サウンドにも非常にマッチしていると思うし。

■演奏面も全体的にドッシリと坦々としつつ、所々エモーショナルになる。そのメリハリも効いてますね。

奥田民生:ギターをもう一本入れるというスタイルは、ここ最近ほとんどとってないんで、曲の在り方としてはシンプルにせざるおえない所もあって。そんな中、メリハリをつけたら、こんな形になったというか。“ライブではこうなるだろう”も想定して作ったし。“このフォーマットで!”と決めたら、そのフォーマットで出来る最大限のプレイとアレンジをした結果です。

■カップリング曲の「明日はどうだ」ですが、これは聴いていて気が楽になる人も多そうですね。

奥田民生:内容的にはあまり無いですよ(笑)。“なんだ、結局は行き当たりバッタリじゃねぇか!”って、ツッこまれるのがオチの曲で。自分的にも、“激しい演奏の中、こんな優柔不断なことを歌わなくても…”って思いますもん(笑)。“結局、決まってなくてもいいんじゃないの?”って歌ですから。“右か左かハッキリせい!”って人には受けが悪いでしょうね(笑)。

■こちらはかなりの疾走感とドライブ感のある曲ですが、なんでもこの曲はニューヨークで録られたとか?

奥田民生:そうなんですよ。ここ最近ニューヨークで録っていて、去年スティーヴ・ジョーダンのバンド“The Verbs”を一緒に演った面々と録りました。そのThe Verbsと並行してのレコーディングだったんで、ノリノリ感は上手く出てるんじゃないかな。レコーディングもサクッと早くて。曲に向かっての一直線感があって、かなり一丸性を感じてましたからね。

■で、3曲目にはPUFFYの2人に提供した「オリエンタル・ダイヤモンド」のデモ音源が…。

奥田民生:この曲こそ、「明日はどうだ」のスタジオや参加メンバーの豪華さとは真逆で。僕が1人で自宅で全ての楽器からエンジニアリングまでやりました。

■自宅ですか、これ?

奥田民生:もう、今やここまで録れるんですよ。“機材の進歩は凄いなぁ”と。向こう側の注文的も、“派手な曲を書いてくれ”だったんで、疾走感や荒々しさを前面に表してみました。まあ、ここまでライブ感を出したのも、“こんな感じだよ”というのを上手く伝える為で。

■作詞は井上陽水さんですが、彼の今回の歌詞を歌ってみていかがでした?

奥田民生:言葉の意味がどうであれ、歌った時のスピード感と歌っての気持ち良さは相変わらず凄いなと。もう、歌詞カードを見てもしょうがないんですよ、この曲は。是非、曲自体を聴いて欲しい。まあ、僕もよく韻は踏みますが、僕の場合は韻というよりは駄洒落。いや、おやじギャグの一種ですからね(笑)。

■最後に今作の聴きどころを教えて下さい。

奥田民生:やはり、日本、ニューヨーク、そして自宅と、全部場所も違うし、メンバーも違う所ですね。全て1人の人間から生まれた音楽ですが、そこに携わる人達や場所によって、こんなにも各曲違うところを是非聴いて欲しいですね。

2007年11月23日金曜日

interview with - スガシカオ

 初のベストアルバム『ALL SINGLES BEST』が大ヒット。デビュー10周年を迎え、その独創的な才能があらためてクローズアップされているスガ シカオから、ニューシングル『フォノスコープ』、そして、今年2月の武道館ライブの模様を収めたライブDVD『Shikao & The Family Sugar~FAN-KEY PARADE '07~ in 日本武道館』が届けられた。ライブへのモチベーションの高まり、“歌詞”に対する自負。この2作から、スガ シカオの現在がはっきりと見えてくる。


■まずはライブDVDのことからお聞きしたいのですが、まさに“デビューから10年の集大成”という作品ですよね。

スガ:武道館のときは、けっこうヘベレケだったんだけどね(苦笑)。インフルエンザにかかっちゃって、かなり厳しい戦いを強いられたので。まあ、武道館を成功させるっていうのは大きな目標でもあったわけで、それはしっかり実現できたんじゃないかな、と。伝説的なライブというか、来てくれた人たちに“あの場所にいられて良かったな”って感じてもらえるようなライブだったと思うし。


■その手ごたえは、映像からも伝わってきます。あれだけいいライブができると、10年間頑張ってきたなって思ったりします?

スガ:いや、そんなふうには思わないですけどね。武道館ライブで、とりあえずは(10周年のイベントが)落ち着いたというか……。まだいろいろ続いてるから、ぜんぜん休まる感じはしないんですけど。


■ニューシングル『フォノスコープ』からも、ここからまた攻めていこうという気合いを感じました。ベーシックはファンクなんだけど、サビではポップに展開していくという。

スガ:そうそう、“ファンキーに始まって、ポップに開いていく曲がやりたい”っていうところからスタートした曲だったので。けっこう荒技ですけどね(笑)。ここのところディスコだとかロックだとか、そういうのが多かったから、しっかりファンキーなヤツをやりたいなっていう気持ちもあったし。あとね、ライブで盛り上がる曲をやりたいんだよね、とにかく。ライブがイメージできないものはやりたくないんですよ、今のモードとして。


■なるほど。

スガ:昔は違ってたんですけどね。どっちかっていうと音源至上主義だったというか、とりあえず作ってから、さて、どうやってライブでやろうかって考えるっていう。最近は作ってるときから、これは盛り上がりそう! みたいな。


■“誰かの言葉で もう迷ったり 失ったりしたくない”という歌詞もかなりポジティブだし、精神的にどんどん開いていってるのかも。

スガ:そんなに良くないんですけどね、精神状態は。なんというか……明るくいこう、と思ってるんじゃなくて、ディープなところに行きたくないんですよ。マイナスなものを作ると、自分がそっちに引っ張られそうな気がするんですよね、今。『TIME』(2004年リリースの6枚目のアルバム)のときなんか、そのせいでツアーをやるのもつらくなっちゃったから。


■『フォノスコープ』という言葉は、辞書に載ってないですよね?

スガ:僕の造語なので。これはですねえ、言葉の真意をのぞける望遠鏡っていうイメージなんですよ。“この曲、スガさんっぽくないですね”でも何でもいいんだけど、何かを言われると、いろいろと深読みしちゃうクセがあるんです。そこに尾ひれが付いていって、自爆するっていう習性が昔からあって(笑)。そういうときに“その言葉って、ホントはどういう意味なの?”っていうのがわかる、ドラえもん的な道具があればいいなっていう。


■言葉を重ねれば重ねるほど、何を言いたかったのかわからなくなるってこと、ありますよね。特に恋愛中は。

スガ:相手の話を聞いてるときも、そうじゃないですか。どんどん話してくれるんだけど、ますますわかんなくなるっていう。そういう話をそのまま書いたんですよ、この歌詞。耳をすませば、聞きたくないところばかりが聞こえてきて、ホントに知りたいことは聞こえてこないっていう。


■なるほど。でも、ホントにあったら便利ですかね?“フォノスコープ”。

スガ:どうでしょうね……。それはそれでダメかもね(笑)。


■今回のシングルは、4曲をとおして“気持ちを上げていきたい”っていうテーマで貫かれてないですか? 2曲目の『坂の途中』にも“休まないでのぼること 君ならできるよ”っていうラインがあって。

スガ:そう……ですね。まあ、新曲は(『フォノスコープ』『SPEED』の)2曲なんだけど。『坂の途中』はもともと、ラジオ局のキャンペーンソングとして書いたんですよ。もともとは弾き語りだったんですけど、それだと少しモノクロっぽくなりすぎるんで、今回はカラー写真っぽくリアレンジさせてもらいました。


■3曲目の『SPEED』も、ブッ飛んだ疾走感が印象的。

スガ:これはちょっとディープですけどね。小説(雑誌「SWITCH」に連載された、初の連載小説「SPEED」)の内容ともつながってるから、(歌詞は)覚悟して書きました。とにかくテーマが重いんで。


■テーマというと、死生観とか“生きてる実感とは?”とか……?

スガ:そうです。生きているスピードっていうか。


■生きてる実感って得にくいですよね、特に今の時代って。

スガ:うん、時代のせいなのか、人間っていうのがそもそもそういう生き物なのかはわかりませんが。何で生きてるんだろうな、っていうことですよ、つまり。それが小説のテーマだったので。


■スガさんのなかで、その問いに対する答えは見つかりましたか?

スガ:見つかってないですよ。わかんないんじゃないですか、きっと。


■そうですよね……。4曲目の『Hop Step Dive』は『PARADE』(2006年にリリースされた7枚目のアルバム)の収録曲ですが、最近「マイナビ転職」のテレビCMソングとしてオンエアされてますね。

スガ:もともとは、僕の周りにすごくヘコんでる人がいて、その人に向けて応援ソングを書くとしたら……というところから作った曲なんですよ。その曲を(CMソングに)選んでもらったんですけど、「マイナビ転職」の人にいわせると、僕は転職のカリスマだそうですよ(笑)。


■仕事を辞めて、プロのミュージシャンになるという夢をかなえたわけですから。

スガ:僕の場合、ありえない年齢でデビューしてるからね。あきらめずに頑張れば……っていうところでしょうね、きっと。デビューのときの年齢は27とか28が限界っていわれてるなかで、僕は30才でデビューしてるわけだから。だれもが失敗するだろうって思ってたんだけど、それなりにうまくいって、それが(転職を目指す人の)勇気につながることもあるんじゃないですか。


■この10年間で、あのときはキツかったなっていう時期はありますか?

スガ:……やっぱり、スランプだったときかな。最初のレコード会社との契約がなくなって、宙ぶらりなままリリースの計画もなく、しかも曲が書けないっていう。山にこもりましたからね、いい曲が書けるまで。


■では逆に、あのときはすばらしかった! っていう体験というと?

スガ:うまくいったライブのエンディングは、いつもそう思うよ。なんていうか、世界の時間が止まってる感じがするんだよね。最後にバーンと音を鳴らすじゃない? 僕が合図してバッと音を切ったらライブが終わるわけだけど、その間の何秒間……5秒もないくらいかな……っていうのは、ホントにいいんですよね。


■それは実際に体験してみないとわからないですね……。楽曲、音楽に対する責任感も強くなってるのでは?

スガ:責任感は昔からありましたよ、もちろん(笑)。でも、最近は歌詞とかもちゃんと考えてますけどね。


■と、いうと?

スガ:たとえば、日本の歌詞の歴史を前に進めてる人っていうのが、2007年の今10人いると仮定して、僕はその10人に入って、責任を負おうと思ってるんですよ。しょうもない歌詞は書かないようしたいなっていう。


■これからの日本の音楽のために?

スガ:そういうわけでもないんですけど、その自覚があるかどうかは大事だと思いますね。注目されてるっていう自負もあるし、だったらちゃんと責任をもってヒドい歌詞を書いていこう、と。(歌詞で)ここには触れてはいけないっていうところがあって、だれかがそれを壊さなくちゃいけないんだったら、僕が壊そうと思ってますね。