2007年12月6日木曜日

interview with - 木根尚登

 今、気になるあの人の、人生や音楽活動に影響を与えた出来事や出会いとは? 注目のアーティストに、自らのターニングポイントを語ってもらう連載「私のターニングポイント」。第26回は、12月5日に3年8か月ぶりとなるニューアルバム『SPEEDWAY』をリリースしたTM NETWORKのスポークスマン、木根尚登の登場だ。


「発端は“SPEEDWAY”のアルバムを小室哲哉が買ったことで(笑)」
 あの小室哲哉が 所属するユニット、TM NETWORK。それこそ、現在20代中盤から30代後半にかけてのリスナーは名前を聴くだけで号泣ものだろう。1984年にデビューし、1994年に “活動終了”。その後1999年に活動を再開し、コンスタントにリリースとライブ活動を続けている。
 そんな彼らが80年代に回帰するコンセプト を掲げた新作をリリース。タイトルは彼らがTM NETWORKを結成する以前のバンド名から引用され、サウンドや曲調も80年代の“あのころ”のテイストに近く、まるでバンド名のとおり(“TM NETWORK”とは“タイムマシン・ネットワーク”の略。ダブルミーニングで“多摩ネットワーク”の意もある)に、タイムマシンでデビュー前年の 1983年に戻って制作したかのよう。まさに、優しきメロディーが中毒性を持つ名盤だ。

 「TM NETWORKのデビューは1984年なんですけど、その前に、SPEEDWAYと いう名前のバンドをやっていたんです。1979年に結成して、最初は僕と宇都宮くんがいて、あとから小室くんが加入して。その延長でTM NETWORKのデビュー前にデモテープを一緒に作ったんですね。そのテープは今も持ってますけど、今回のアルバムはそれに近いです。なぜ、こういう流れ になったかを話すと、発端はSPEEDWAYのアルバムを小室哲哉がiTunesで買って(笑)。彼から電話がかかってきて“SPEEDWAY聴い た?”って言うから“聴いてないよ(笑)”って。“最近、iTunesで聴いたんだ。いや、いいよ、これ。あのころの曲とかさぁ”とか彼が言い始めて、 “TM NETWORKとしてこれ出したいね!”ってことになったんですよね」

「やっぱり“夜のヒットスタジオ”出演ですね」
 来年25周年を迎えるTM NETWORK。デビュー後の3年間は良作をリリースしながらもヒットに恵まれず、地方キャンペーンなどを地道に行っていた。結果、地方で人気を得たこと がその後に結びつくこととなる。彼らが絶大なる人気を得ることになった、そのターニングポイントとは?

  「世間的に考えたら、やっぱりフジテレビの“夜のヒットスタジオ”に出演したことですね。もちろんそこまでにいろんな点がありますけど。当時“夜のヒット スタジオ”の放送作家の方が“3人組でコンピューターを使ってやってるヤツら、なかなかおもしろいよ”って、番組のプロデューサーに薦めてくれたんです よ。デビューから3年間全然出演できなかったけど、その間の活動が目に止まってね……。あと、同じくらい影響しているのは小室くんが渡辺美里さんに提供した『My Revolution』ですよね。あれがヒットしなければ、彼はTM NETWORKをあきらめていたかもしれない(苦笑)。あの曲が大ヒットしたときに彼は確信したんでしょう、“曲は間違ってない!”って(笑)。後は売り方や見せ方だと。それが『Self Control』(アルバム『Self Control』収録)、『Get Wild』のヒットに結びつきましたね」

  そしてTM NETWORKは、現在のJ-POPやクラブシーンで当たり前のものとなった“ユニット”という形態の元祖でもある。結成当時からその意識はあったのだろうか?

  「当時は“ユニット”って言葉がなかったからね。最初にてっちゃん(小室哲哉)が僕を誘ったとき、“作曲グループで音楽を作ろうよ”って話だったんです。 今だから言えるけど、当時てっちゃんが言ったのは、“バンドで6人、7人いると金がかかるよ(笑)”って。当時お金なかったですから。また、自分たちの音 楽がそれを演奏するミュージシャンによって限定されるということもあって。時代が変わって音楽の流行が変わっても、その都度ミュージシャンを変えていけば その時代の音楽ができるんじゃないかと。ひょっとしたら同じ時代でいうなら、TM NETWORKとBOΦWYの違いってことでもあるかもしれないね」